他者への関心

高智が30代後半になったあたりから、周りの評価が徐々に変わってきた。「あの年齢で、あれだけ動けるって、高智さんは化け物だな」と、若手はみな驚く。来日1年目のパウエル・パチコフスキーは、一緒にトレーニングをしたあとに高智の年齢を聞いて「あなたはアイアンマンか!」と驚いたという。
本職のライトバックからライトウイングにコンバートされた年も、ちょっとした驚きだった。ウイングは走るポジションだから、ある程度若さがないと務まらない。走れなくなって引退する選手もいるなかで、もうすぐ40歳になろうかという高智が軽やかに40mを駆け抜けていく。むしろ走行距離が長くなった方が、高智のよさが生きてくる。「楽しそうに走る高智の姿を見るためだけに、お金を払う価値があるのでは」と思うくらい、リズミカルな走りを見せていた。
監督が替わり、ポジションが変わったりを経験するうちに、高智の考え方にも変化が出てきた。
「その時その時で求められているものを敏感に感じ取って、監督やチームから求められていることを感じながら、しっかりとやるべきことを選択していきたい。自分の好きなことばかりしていたら、絶対生きていけない。たとえば門山哲也さん(前監督で現チームディレクター)なら、僕をDFメインで使いつつ、サイドにも起用したい。ラース(ウェルダーヘッドコーチ)なら、僕をバックでも使いたい。微妙に求めてくるものが違うから、自分のよさを生かしつつ、臨機応変にプレーを変えていく。ベースは変わらないが、カメレオンみたいに適応していくイメージです」
年数を重ねて、他人への興味がわいてきたようだ。自己愛と他者への関心は、なかなか両立しにくい。両方を兼ね備えた稀有な例が、プロ野球の新庄剛志監督(北海道日本ハム)だと言われている。派手な話題が先行しているように見せかけて、メンタルトレーニング的に正しい声かけをして、選手個々のポテンシャルを引き出し、チームを強くしている。高智も同じような進化を遂げていたのかもしれない。最近は「適応」への話題が多くなっていた。(下に記事が続きます)
時代の流れに乗る

永遠のアスリートタイプに見える高智にも、衰えは忍び寄っていた。それがいろんなことに興味を持つきっかけになった。
「意地を張って昔のやり方に執着しちゃうと、そこで置いていかれる場合もありますからね。そんな選手も見てきたので、柔軟に最新のものを取り入れ、ニーズに合わせて変化していく。それが長く続けられた秘訣かなと思います。日々落ちていく体力と向き合うなかで、アンテナを張り巡らせて、最新の情報をキャッチして、自分に合うものはどんどん試していく。もちろんエビデンスがないとやりません」
休養やリカバリーの重要性を感じて、リカバリーウエアやマットレスにもこだわった。トレーニングも時代に合わせてマイナーチェンジしてきた。
「ストレングスコーチだった相川さんの土台となる体の強さ。トレーナーだった山本充伺さんの基礎となる体の使い方。それに加えて、斎藤裕子S&Cコーチや帆山彦沢S&Cコーチの最新の動作など、全部が合わさった結果、長く続けられた。土台の強さもありつつ、トレンドにも乗っかりますよ」
自己愛だけでは、41歳までプレーできない。他者への関心と柔軟な思考回路があったから、高智は最後まで高いパフォーマンスを保てた。 (下に記事が続きます)
自分から絶対に辞めない

コート上ではいつもカッコいい高智も、さすがに最後の3年間は体がボロボロだった。
「家ではずっと足を引きずりながら歩いていました。痛み止めも毎日飲んでいたし。家族には迷惑をかけたと思います」
弱音をひと言も吐かなくても、母の佳子さんは息子の苦しみを察知していた。「辛かったら辞めなさい」と、何度も言っていた。しかし高智は最後まで首を縦に振らなかった。
「自分からは絶対に辞めないと決めていました。大ケガするか、クビになるまでは、全力で立ち向かってやると思っていました。だからチームからクビを言い渡された時は、正直なところ、ちょっとホッとしましたね。寂しい気持ちもありましたけど、やり切れたのかな」
最後の年に自己ベスト

41歳になるシーズン、高智はベンチアウトすることが多かった。現役時代から長く高智を見てきた松村昌幸アシスタントコーチは言う。
「高智くらいの年齢になると、腐ったり手を抜いたりしてもおかしくないけど、いつも高智は全力で、練習から一切手を抜かない。本当にそこは尊敬しますね。ある意味レジェンドですよ。こんな選手は、これから先も出てこないでしょう」
最後まで手を抜かない高智は、引退する年にフルスクワットの自己ベストを出していた。
「現役中にキャリアハイを出すのは無理だろうなと思っていましたけど、チームメイトに鼓舞されながらやっていくうちに数値が上がって、200kgを挙げられるようになりました。ウチは毎週ウエイトの数値を取っているので、そこで1位になって、みんなをギャフンと言わせて勝ち逃げしてやろうと思って、やっていました」
いたずらっぽく笑っていたが、40歳を過ぎた選手がそこまでやるのは並大抵のことではない。最後までやり切った証と言える。
「最後までやり切らないと、死ぬ時に絶対後悔するだろうし、やり切ることがセカンドキャリアにもつながると思ってやってきました。だからファーストキャリアはクリアかな。大満足な選手生活です」
自称「付き人」の活躍で日本一

2026年5月のホーム最終戦では、高智の引退セレモニーが行われた。晴れやかな表情でインタビューに応じた高智は、プレーオフへの思いも口にしていた。
「ウチの左利きがプレーオフまでにケガしないことを願うばかりです。みんな状態がいいから、このままいけば絶対優勝できます。今年は強度が違うので」
ケガ人が出れば、自分のベンチ入りのチャンスが増えるはずなのに、そんなエゴは一切なかった。7年ぶりにプレーオフを制したい。5年連続僅差で敗れたファイナルを、今年こそ物にしたい。高智の思いは純粋だった。
2026年6月のプレーオフファイナルは、6年連続で豊田合成ブルーファルコン名古屋との対戦になった。何度も接戦ではね返されたトラウマを払拭したのは、伏兵・松下海だった。レフトウイングのレギュラー・杉岡尚樹が足を吊ったタイミングで出てきて、同点の7mスローを決めると、勝ち越しのサイドシュートも決めて、チームを日本一に導いている。ラッキーボーイとなった松下は、大阪体育大学の先輩でもある高智への思いが止まらなかった。
「初めて高智さんに会った時は、まだ僕がファンだった頃でした。『今度大阪体育大学に進学することになりました。よろしくお願いします』とあいさつしたのを覚えています。僕がトヨタ車体(ブレイヴキングス刈谷)に入る時も『大体大から新人が来るのは14年ぶりだ』と言って、かわいがってもらいました。僕が入社してから5年連続でファイナルに勝てていませんでしたが『レジェンドの最後の年に、今までどおりで終わらせる訳にはいかない』と、強く思ってプレーしました。14年離れていますが、僕は高智さんの自称『付き人』。引退されても、一生付き人でいます」
松下の活躍をスタンドから見ていた高智は、穏やかな笑みを浮かべていた。
「松下がやりましたね。いい引き継ぎができたというか、思い残すことはありません。今までありがとうございました」
最後までやり切った高智へのごほうびかもしれない。用意されていたかのような、最高のエンディングだった。

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