2023-24シーズン、イタリア・セリエAへ挑戦したバレーボール女子日本代表の石川真佑(23)。通訳サポートとして見守った筆者によるイタリア挑戦記の第4回目をお送りする。所属するチーム・フィレンツェの監督から異変を指摘され、押さえていた気持ちがあふれ涙が止まらない。チームは連敗が続く厳しい状況だったが、石川は全てがふっきれたように生き生きと過ごし始める。
パリージ監督の急な呼び出し
イル・ビゾンテ・フィレンツェは年明けからの3連勝で14チーム中6位にまで浮上したが、後半第5戦では9位のローマに敗れてしまう。そんな翌日、チームマネジャー・ヴァレンティーナからメッセージが届いた。筆者の業務はビデオミーティングでの通訳だったが「ビデオミーティングはないが水曜に来られないか」とのことだった。「マユが心を開いて話すようにうまく引き出して欲しい」。パリージ監督たってのお願いだった。
水曜、イタリア語レッスンをやっている最中、遠くからちょっと照れ笑いする監督が近づいてくる。椅子を持ってきてテーブルの脇に座り、ふぅっとひと息を吐いた後に、石川に尋ねた。
「いつも笑顔のマユなのに、ずっとその笑顔が消えているね。その理由は何なのか、私に教えてくれないか」。
下を向きながら、自分のプレーのふがいなさをポツリポツリと語る石川。
「ミスをした時は自覚がある。でも…」「でも?」
石川の語り調子に合わせながらも、少しずつ核心に迫る監督。
「分かっているのに、落ち込んでいるのに、それをまた言われると余計に落ち込んで」「それ、だれから言われるの?」
個人名を出すのに気が引けたのか、目を潤ませて黙ってしまう石川。様子をうかがいながら、次に口を開いたのはパリージ監督だった。「それ、ジュリアでしょ」。(下に記事が続きます)
「何も言い返せない」、苦渋の告白に涙ポロリ
核心を突かれた石川は耐え切れなくなり、涙があふれてポロポロとこぼれ落ちた。
「やっぱり!あいつは昔からそうなんだ。バレーのことになるとすぐにがーっとなる」。
キャプテンのジュリアは、2011~15年にパリージ監督と共にブスト・アルシツィオの黄金期を築いた。産休から復帰の2023-2024シーズンは、監督がいるフィレンツェ加入を志願したほど2人の仲は深く、彼女の性格を知り尽くした監督の予想は見事に的中した。しかしジュリアが悪いわけでもない。今季からメンバーが総替わりし、若い外国人が多いチームでキャプテンの責務を果たそうとするのは痛いほど理解できるし、イタリアでは自分の意見や気持ちをストレートにぶつけ合うのが普通。それでお互いに気を悪くすることもなければ、あと腐れもない。しかし在伊がまだ3か月の石川。プレーでも悩んでるうえに気にしてしまう性格もあり、ジュリアの言葉はグサグサと胸を突き刺していたのだ。
「しつこくても放っておけばいい」。監督は諭したが、石川の涙は止まらない。
「そう思って黙っていると分かっていないと思われているのか、また繰り返し言われて…」。
監督はティッシュを差し出した後、腕組みをしてしばし考え込んだ。
「でもジュリアに私が言うのは違うと思う。そうだ、うまく言い返す言葉を考えよう!」
思いついたフレーズをブツブツと口に出しては、これも違うあれも違う、と思いを巡らせ、最終的に決めた言葉は「Lasciami tranquilla(そっとしておいて)」。胸の前で両手を下に広げて上下させながら「こういうジャスチャーもつけて、淡々と言うと効果的だからね」と演技指導まで。そんな監督の様子に、鼻水をすすりながらも石川にふっと笑みが戻る。
「マユは真面目だからオフの日もずっとバレーのことを考えてるんだろう?オフはバレーを忘れて楽しみなさい」。
石川の性格をすっかり理解していたパリージ監督だった。
微熱でイタリアの薬を買いに
監督との話があった翌日、石川から練習を休む旨のメッセージが来た。年末も少し体調を崩した時は試合もなくすぐに復調したが、今回は1日休んで復帰したものの、練習後にまた調子を崩し、38度以上の発熱もある。
日本のドクターが準備した薬一式を持っているものの、ドーピングの検査基準が各国で異なるために全成分を翻訳して確認が必要だ。チームドクターの指定薬を買ったほうが早いので、筆者はチームドクターの携帯電話に直接連絡を入れ、「マユがスマホを見せるだけで買えるようにドンピシャの薬名を教えてください」とお願いする。まだ微熱がありながらも石川本人が近所の薬局に行き、無事に指定薬を買い、数日は家で休養に専念することになった。(下に記事が続きます)
「迷惑かけてすみません」が口癖に
しかしアウェーのカザルマッジョーレ戦(2月3日、後半第6戦)まであと2日。プレーオフ進出の8位をキープできるかの重要な試合のため、出場するかどうか最後までチームとのやり取りが繰り返される。残念ながら復調には至らずに石川は休み、チームも11位と格下の相手にストレート負けを喫した。プレーやコミュニケーションに行き詰まっていただけでなく、健康面でも不調が続き、石川とのチャットには「すみません」「迷惑をかけてすみません」のフレーズが並ぶ。
シーズン終了前にこの時期のことを聞いてみると、「全てをマイナスに考えてしまい、何もかもがうまくいかなかった一番つらい時期」だったそう。体調不良も精神面からきていたのかもしれない。
チームはローマ戦から数えてレギュラーシーズンの試合だけで6連敗、コッパ・イタリアを入れると7連敗と厳しい状況が続く。しかし個人的に最悪な局面を乗り切った石川は、チームの成績とは裏腹に人が変わったように生き生きし始めた。
お気に入りのカフェでイタリア語自習
2月になり、「さすがにもう自立の時」と筆者の勤務は週1回だけとなった。それに合わせ、イタリア語レッスンではアタックの種類やコース、体の部位や使い方をあらわす単語などビデオミーティングで出てくる言葉を洗いざらい伝える。
それを一通り終えるとオフの日の過ごし方や直近の試合の感想を話すが、1人でカフェに行ってイタリア語を勉強したり、電車に乗ってミラノの兄の試合観戦に行ったりと、石川のオフの過ごし方が出不精だった以前とは変わってきた。「一体どうしたの⁈」と訊くと、何か大きなきっかけがあったわけではないが、とにかく家から出よう!と決めて外に出たり、いつもなら乗るトラムを使わずに歩いて行ったり、お気に入りのカフェでイタリア語を自習したり。イタリア語学習も楽しくなってきたと言う。
実際、レッスンも週1になってしまったため時間を増やそうか提案すると「お願いします!」とやる気満々。練習前に時間が取れない時は、オフの日に旧市街の本屋でレッスンをしたこともあった。「文法用の新しいのを作りました!」と石川らしい几帳面な文字が並ぶノートを見せてくれた。通常は週末に1試合だが、イレギュラーであった水曜の試合の後に「忘れる前に試合の感想を見てもらえますか」「インスタに投稿したいんですけど確認してもらえますか」と自分で作った文章を送ってくる。まさに別人のような変貌ぶりだ。
この5カ月間、プレーでも悩み、修正し、成長してきたように、人としても一皮むけたような石川。言葉や慣習の違いに戸惑いながら少しづつ心を開き、何事も前向きにとらえられるようになっていた。(下に記事が続きます)
サンタ・マリア・ノヴェッラ薬局へ
3月10日の後半第11戦でトレンティーノに勝利したためにローマの8位以上が、イル・ビゾンテは9位以下が確定し、プレーオフ進出を逃してしまった。例年なら9〜12位のチームとプレーオフ準々決勝敗退チームとでプレーオフ・チャレンジカップがあるが、パリ五輪出場をかけたVNL(ネーションズリーグ)を控えたイタリアのナショナルチームの要請によりキャンセルになり、突如、日本帰国が前倒しになった。
そこで次のオフの日、日本へ持ち帰る土産を買いに一緒に旧市街を訪ねた。日本女性にも大人気の世界最古のサンタ・マリア・ノヴェッラ薬局は、今まで前を通っただけで初めて入るのだと言う。ドライフラワーのアーチからテンションが上がり、香り高い店内で様々な商品を手に取り、マッピングでは目をキラキラさせながら写真や動画を撮影して楽しむ。普段はとことんバレーボールに向き合う石川も、この時ばかりは23歳のかわいらしい女性の姿であった。しかし、この日もまたしても雨。12月に悪天候で行けなかった、絶景スポットのミケランジェロ広場にはまた行くことができなかった。帰国まで残り10日の間に行けるのかどうかは、神のみぞ知る…。
石川 真佑(いしかわ・まゆ)2000年5月14日、愛知県岡崎市生まれ。ポジションはアウトサイドヒッター。中学校からバレーボールの名門校へ進み、下北沢成徳高等学校では1年生からレギュラー入りし、全国大会と国体で2冠を達成。卒業後はVリーグの東レアローズに入団し、同年より日本代表としてU20の世界選手権とアジア選手権で優勝とMVP受賞、東京五輪にも出場。2023-24シーズンはプロ選手としてイタリア・セリエAのイル・ビゾンテ・フィレンツェに加入。今季は総得点でチーム2位の351得点を挙げる活躍だった。身長174㎝と小柄ながらも、多彩な攻撃とサーブ、安定した守備が持ち味。
イル・ビゾンテ・フィレンツェ[IL Bisonte Firenze] イタリア女子バレーボールチーム。1975年にVolleyball Arci San Cascianoとしてチームを創設し、2004年に革製品メーカー Il Bisonte がメーンスポンサーとなる。2014年にセリエAに昇格、2022年にフィレンツェに本拠地を移す。2023-24シーズンの今季はセリエAの14チーム中10位(11勝15敗)でレギュラーシーズンを終えた。
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コメント一覧 (2件)
Grazie per il bel articolo!! E’ molto interessante conoscere l’esperienza di Mayu-san in Italia. Penso che sia molto difficile per un giapponese ambientarsi qui, ancora più difficile per uno sportivo che deve inserirsi in un gruppo senza conoscere la lingua e mentalità italiana. Ci vuole pazienza, sacrificio e molta forza di volontà. Qualità che non mancano a Mayu-san, oltre alle indiscutibili qualità sportive. Lei è giovane, sono sicuro che se continuerà l’avventura italiana diventerà sempre più forte e determinante per la sua squadra!
Scrivo questi articoli approfittando il mio ex servizio….potevo sapere tanto quelli che stavano dietro la quinta!
Sono ormai tantissimo tempo in Italia per cui mi scordo, ma per lei non era facile adattarsi a tutte le cose che a noi sembra normale. Soprattutto lei e’ molto timida.
Comunque tu vedrai fra un po’ l’ultima puntata, vedrai come e’ cambiata in ultimi mesi!