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【バレーボール】石川真佑のイタリア178日Vol.5[終]通訳が見たセリエA挑戦 | グラッツェ花の都

【バレーボール】石川真佑のイタリア178日Vol.5[完]通訳が見たセリエA挑戦 | グラッツェ花の都
最初はハグを遠慮したパリージ監督も最後はがっちり石川を抱き寄せる=中山写す
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2023-24シーズン、イタリア・セリエAへ挑戦したバレーボール女子日本代表の石川真佑(23)。通訳サポートとして間近に見てきた筆者によるイタリア挑戦記の最終回をお送りする。2024年3月24日の最終戦、石川は途中交代になったものの勝利を飾ったイル・ビゾンテ・フィレンツェだが、成績は14チーム中10位に甘んじた。急に決まった日本帰国が迫る中、6カ月の間に行けなかったフィレンツェの名所を一緒に回る。山あり谷ありの濃密な178日間だったが、「イタリア生活は自分に合っている」と語った。

目次

モジモジ卒業、最終戦後はハグも自然に

クーネオ戦(3月24日、後半13戦)は途中交代となり、ウォームアップ・エリアからゲームを見つめる=中山写す
クーネオ戦(3月24日、後半13戦)は途中交代となり、ウォームアップ・エリアからゲームを見つめる=中山写す

シーズン最終戦はホームで、セリエA残留が確定していないクーネオとの対戦だ。石川はゲーム序盤に立て続けにサービスエースを決めたものの、アタックでもレシーブでも波に乗れずに2セット目と3セット目に途中交代となり、その後コートに立つことはなかった。それでもチームは有終の美を飾り、歓喜のなかこのメンバーで最後の集合写真を撮影し、いつも通りたくさんのファンに囲まれて名残を惜しんだ。

一度ロッカールームに戻った後、筆者も待つコートへ。まだ残っていたテクニカルサポーターのカルロ、トレーナーのマウリッツォと次々にハグを交わす石川。来たばかりのころはモジモジしていることも多かったが、いつの間にかあいさつの頬にキスも熱いハグも、自然にできるようになっていた。(下に記事が続きます)

テクニカルサポーター「マユは精密ロボット」

(左)テクニカルサポーターのカルロ(右)トレーナーのマウリッツィオ=いずれも中山写す
(左)テクニカルサポーターのカルロ(右)トレーナーのマウリッツィオ=いずれも中山写す

長髪のカルロは、ビデオミーティングの時に石川の右横に座り、後ろから通訳する筆者の言葉に合わせてミニホワイトボードに図式を書いてくれたり、筆者が聞き取れなかったり知らない単語が出た時にフォローしてくれたり、私がいない時はマンツーマンで石川のサポートをしてくれたテクニカルサポーターだ。そんな彼にシーズン終了間際に石川について訊いてみると、待ってましたとばかりにうれしそうに答えた。

「マユ?精密ロボだよ!」

初めてリアルで見た日本人プレーヤーは、イメージしていたそのまんま。時間に正確で、ルーチンを1人で集中して行う。同じことを淡々と繰り返し練習する。冷静沈着で動揺した様子は一切見せず、高度な技術を使い分ける様子はまるで精密なロボットで、その全てに感服していたという。

マウリッツィオはトレーナーとして石川をサポートしただけでなく、石川を常に気にかけてくれていた。事あるごとに「マユ、OK?」と必ず声をかけていたのは、自分が外国生活中にさみしくなった時でも、たった一言の声掛けで元気になれた経験があるから。それと同じように自分の声掛けで石川が孤独を感じないでいてくれたら、という思いだったそうだ。(下に記事が続きます)

19歳のチームメート「背低いのにすごい」

(左)チーム最年少のナウシカと=中山写す(右)チーム最年長でキャプテンのジュリア=写真提供:Il Bisonte Volley Firenze
(左)チーム最年少のナウシカ=中山写す(右)チーム最年長でキャプテンのジュリア=写真提供:Il Bisonte Volley Firenze

チームメートの中でマウリッツォのようにいつも石川に話しかけていたのは、19歳のナウシカ。英語ではなく、イタリア語でゆっくりと話してくれていたのも印象的だった。イタリアでは特に若い世代で日本は大ブーム中なのだが、まさにその代表のような彼女。石川について訊くと、バレーのことはもちろん、日本の生活、食べ物、スキンケアなど訊きたいことが山ほどあったそう。

「でも何よりイケてたのはマユのサーブね。ボールを持った手を突き出してピタッと止まって、集中して、バーンとすごいサーブを打つ。それから背が低いのに高いブロックも抜いちゃうの、めちゃくちゃすごい!」と、屈託のない笑顔でたくさん話してくれた。

いっぽうキャプテンでリベロだったジュリアは「日本人は守備がうまいというイメージ通りで、自分が一番好きな守備を一緒にやれるのがうれしかった。そしてイエスかノーしか答えられないのにマユのことを知りたくて質問攻めにして申し訳なかった」と笑いつつ、「ミスをした時に他の子には気の利いた言葉でフォローできるんだけど、それができなかったのが残念だったな」と、ちょっと切ない表情を見せた。(下に記事が続きます)

パリージ監督「マユをコーチできて本当に楽しかった」

笑顔の石川とパリージ監督=中山写す

そして最後に、パリージ監督に駆け寄った石川。手を広げたものの一瞬ちゅうちょした監督は筆者の方を向き、「ハグしても良いの?」と心配そうな顔。大丈夫!と答えると、それまで見たことのない感極まった表情で石川をぎゅっと抱きしめた。

「マユは僕が初めてコーチする日本人で、本当に本当に楽しませてもらったよ、ありがとう」

石川にはそれだけを伝えたが、最終戦の数日前には筆者にこんなことを話してくれた。

「データで研究されてしんどかったと思うけれど、本当にすばらしい選手。マユを最良な状態でプレーさせるのが私の役割だったが、もっと上手くできていればと思うと残念だ。もっともっと話したかったし、理解したかったし、力になりたかった。でも日本のやり方がどうだったのか、マユがどう思うのか迷いながらやってきたけれど…」。

「僕が日本式を理解して慣れるよりも、マユがイタリアになじむ方が早かったみたいだね」

なじむことができずに悶々としていたのは、石川だけではなかったのである。

偶然知ったことだが、監督には石川と同じ23歳の娘がいる。年頃の娘を気づかい戸惑う父のように、日本人の石川とのかかわり方に最後の最後まで悩んでいたパリージ監督だった。

帰国2日前に絶景スポットへ「わぁああ!」

サン・ミニアート・アル・モンテ教会前からフィレンツェをバックに=中山写す
サン・ミニアート・アル・モンテ教会前からフィレンツェをバックに=中山写す

2023年12月も、そして最終戦前のお土産購入の時も天候に恵まれず、行くことができなかったミケランジェロ広場。フィレンツェの絶景が見える人気スポットで、半年もフィレンツェに住んでいながら、ここに行かずして帰国するわけにはいかない。しかし、帰国日までの最後の3日間の予報もほとんどが雨で、午前だけ雨マークがなかった試合翌日の3月25日朝に訪問を決め、駅から2人でバスに乗った。

教会に1つも入ったことがないという石川に、やっぱりか!と予定を少しだけ変え、ミケランジェロ広場手前のバス停で下りて、階段を上った先にあるサン・ミニアート・アル・モンテ教会へ向かう。長い階段の中腹あたりで「振り返ってみて」と石川に言うと、目の前に広がるフィレンツェの風景に「わぁぁぁあああああ!」と感嘆の声を上げた。

教会を見学して今度は階段を降り、観光客でにぎわうミケランジェロ広場へ。それからバラ園を抜けて、1320年建設のサン・ミニアート門から旧市街に入る。今までに通ったことがない道を選んで、グラッツィエ橋を渡り、ミケランジェロやガリレオ・ガリレイの墓もあるサンタ・クローチェ教会がある広場へ。そこから今も昔も政治の中心であるシニョーリア広場まで行くと石川にもなじみのエリアだが、フィレンツェ共和国時代の政庁で現在は市役所とミュージアムであるヴェッキオ宮殿の中庭も初めて見学した。今までいくらでも行くことができただろうに、初めての場所が多すぎて2人で失笑した。(下に記事が続きます)

青空のフィレンツェを後に日本へ

チームのランチ会で石川が撮影したセルフィー写真=写真提供:石川真佑
チームのランチ会で石川が撮影したセルフィー写真=提供:石川真佑

その日はチームで最後のランチ会があり、駅まで戻ったところでお別れに。夜、チームメートのSNSで石川がひときわ大きく写るテーブル写真を目にした。石川が撮影していると、石川が提案する前に「マユも入って撮ってよ!」とチームメートに言われて撮影した、最初で最後のセルフィー写真である。

もう少しイタリアでゆっくりできたかもしれないのに、すぐに日本代表合宿に合流することを選んだ石川が帰国の途についたのは最終戦からわずか3日後の3月27日だった。ミケランジェロ広場に行った午前を最後にずっと雨だったが、フィレンツェ空港から「免税手続きも終えてもうすぐ出発ですが、急に晴れてきました!」と青空の写真とともにメッセージが送られてきた。「真佑ちゃんが帰る時に急に晴れるなんて、雨の原因は真佑ちゃんだったのね?」と冷やかすと、「くっそ~!」という今までの石川らしからぬ返事がかえってきた。

メディカルチェックでTシャツを脱ぐのに顔をひきつらせていた、あの石川はもういない。ブロックに連続シャットされて悩んだことも、言い返せずにつらかったことも、電球交換や縦列駐車に手こずったことも、路上駐車場所を探して家の近所をぐるぐる回ったことも…。178日間に起こったなにもかもが、きっと成長に必要な体験だったに違いない。ミケランジェロ広場へ向かうバスに揺られながら、イタリア生活は「気楽で自分に合っている」とまで言えるようになった。

来季、石川がどこでプレーするかはまだ公式発表されていない。プレーにおいても生活においても課題はたくさんあるにせよ、どこに行ってもきっと大丈夫。まずは日本代表での活躍を大いに期待して、はなむけの言葉を贈りたい。In bocca al lupo!(イン・ボッカ・アル・ルーポ)。直訳は「オオカミの口の中へ!」。難しいことに立ち向かう人へ捧げる、イタリア語の表現である。

石川 真佑(いしかわ・まゆ)2000年5月14日、愛知県岡崎市生まれ。ポジションはアウトサイドヒッター。中学校からバレーボールの名門校へ進み、下北沢成徳高等学校では1年生からレギュラー入りし、全国大会と国体で2冠を達成。卒業後はVリーグの東レアローズに入団し、同年より日本代表としてU20の世界選手権とアジア選手権で優勝とMVP受賞、東京五輪にも出場。2023-24シーズンはプロ選手としてイタリア・セリエAのイル・ビゾンテ・フィレンツェに加入。今季は総得点でチーム2位の351得点を挙げる活躍だった。身長174㎝と小柄ながらも、多彩な攻撃とサーブ、安定した守備が持ち味。

イル・ビゾンテ・フィレンツェ[IL Bisonte Firenze] イタリア女子バレーボールチーム。1975年にVolleyball Arci San Cascianoとしてチームを創設し、2004年に革製品メーカー Il Bisonte がメーンスポンサーとなる。2014年にセリエAに昇格、2022年にフィレンツェに本拠地を移す。2023-24シーズンの今季はセリエAの14チーム中10位(11勝15敗)でレギュラーシーズンを終えた。

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コメント一覧 (6件)

  • 執筆お疲れ様でした!!
    最終回もまた一つ一つの情景が目の前に浮かぶようで、大感動しました。
    現地で間近でみていないと書けない、本当に貴重な貴重な石川真佑選手の初イタリア挑戦での出来事を書いて頂けた事、ただのファンでは絶対に知ることが出来ない(だけどものすごく知りたかった)チームメンバーとの裏話まで書いて頂けた事、感謝してもしきれません。
    178daysを読む事でより深くまゆちゃんの事が知れ、より深くまゆちゃんの事が好きになりました!ありがとうございました。
    正直素晴らしい内容過ぎて、このような貴重なお話を無料で読ませて頂いて申し訳ないなと毎回思っており、すぐには無理でもいつか書籍化などしてくださったら嬉しいです。
    そして海外で活躍するアスリートのチーム内で起きた出来事や言語学習の取り組み方などは日本のファンのみならず全世界で応援するファンにとってもものすごく需要があると思うので、まゆちゃんが来季どこに行くかはまだわかりませんが、どこに行っても石川真佑選手への取材を続けて頂けたらすごく嬉しいです!
    沢山の感動を本当にありがとうございました!
    まゆちゃんの通訳さんがくみこさんで本当によかったー!!(長文申し訳ございません(;;)

    • たくさんの嬉しいお言葉をありがとうございます。
      皆さん、特にファンの方に喜んで頂けたのが嬉しく、また私も自分の貴重な経験をこのような形に残せてとても光栄です!
      来季以降は私は立場ば変わると思いますが、違う形で来季も石川選手の姿を追い、イタリア在住でイタリア語ができる強みを生かした記事を書けたらなと思っています。

  • 素敵な記事全て拝見しました!
    真佑ちゃんのファンとして
    初めての海外生活に一人暮らしに
    色々不安なことだらけだったと思うのですが
    それを支えてくださる方にも出会えてよかったなと思いました。
    色々な経験があったんだなと記事を読んで泣いてしました。
    本人はなかなか発信する機会も少ないのでファンとして知れてよかったです。
    ありがとうございました。

    • コメントをありがとうございます!
      私も好きでイタリアに来たのに最初はかなり苦労したので、石川選手はもっともっと大変だったと思います。
      私にとってもこの貴重な178日をこのような形で残すことができて、そして皆さんに喜んでいただけで大変光栄です。

  • Grazie per i tuoi articoli e ancora i miei complimenti per il tuo lavoro!
    E’ stato davvero appassionante e commovente leggere dell’avventura italiana di Mayu-san.
    Mi piacerebbe molto rivederla giocare nel campionato italiano, è una grande atleta e una bravissima ragazza, sono sicuro che diventerà una campionessa, spero lo possa dimostrare già nelle prossime Olimpiadi!!

    • Grazie di nuovo, ancora di nuovo, Leo!
      Lo spero anch’io, fra un po’ dovrebbe uscire l’annuncio ufficiale da una squadra, ma chissa’ da quale!
      Nonostante ancora molto giovane gia’ molto brava quindi sicuramente sara’ una campionessa!!
      Innanzitutto Nazionale giapponese femminile non e’ ancora confermato per Olimpiadi, dovrebbe fare bene in Nations League per prendere il biglietto, come entrambi d’Italia. Ma incrociamo le dito per tutti i 3!!!

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