イタリア男子バレーボールのセリエAスーペルレガが2024年9月28日に開幕した。昨季にスクデット(リーグ優勝)、コッパ・イタリア、スーペルコッパ、世界クラブ選手権の4冠を達成し、今季はチャンピオンズ・リーグをも狙うペルージャに移籍をした、石川祐希に注目が集まる。ペルージャは9月半ばからのプレカップ戦2つで優勝、初の公式試合であるスーペルコッパでも優勝し、石川はMVPも獲得と最高のスタートを切った。筆者は9月25日夜に新チーム発表会見を取材。その翌日には石川にインタビューするべくホームアリーナのパラ・バルトンへ足を運んだ。
自主練は毎日、恵まれた環境
取材アポは午前練習の後の11時30分。筆者が到着したのは11時15分ごろ、静かなアリーナの様子に練習はもう終わったのかと思いきや、石川がひたすらレセプションの練習をしていた。ドライブサーブを打つのはチームメートのカンデッラーロとチャンチョッタ、ほかにサブコーチが2人つき、1人は機械から無回転サーブ球出しを担当し、もう1人がセッター位置でボールをキャッチしている。
聞こえるのはボールの音と、時折コーチが出す「ブラーヴォ(いいぞ)!」とアドバイスの声のみ。そして約束の時間が近づくと、石川はコートから離れてアームサポーターを外し、水とバナナを口にした後、筆者のほうへ歩み寄ってきた。
「ここは町も小さくて店や飲食店も少ないし、アリーナも子どもたちやバスケと共用していたミラノとは違って、いつでも練習できるんです」
バレーに集中できる環境が整っているのは、今の自分にぴったりだと言う石川。週の2日は半日のウエイトトレーニングがあるが、それ以外の午前のボール練習は選手個人に任されており、この日も来ても来なくても良いという状況だった。しかし、石川は毎日の自主練をほとんど欠かさない。そして午後は6対6のゲーム形式。それゆえに内容でも時間でも、昨季より練習はかなり充実している。
4年暮らしたミラノの都会生活が恋しくなることもない。スーペルコッパが終わってフィレンツェからいったんペルージャに戻った後、所用も兼ねて向かったミラノの美容院以外は全てペルージャで事足りている。
よく一緒に出かけるのは、ミラノでもチームメイトだったロセルとチャンチョッタ。チーム全体が仲が良いが、家族や恋人と住むメンバーも多いため、自然と1人暮らし同士でつるむことが多くなるそうだ。(下に記事が続きます)
まず1冠MVPにも悔しさが残ったスーペルコッパ
初の公式戦だったスーペルコッパは筆者の自宅にも近いフィレンツェで開催されたため、レガ・セリエA本部にメディアパスを申請して取材に向かった。石川は準決勝の1セット目から交代で入り、決勝はスタメンスタート。決勝の相手は順当に勝ち上がったトレンティーノ。昨年の最終順位は4位だったもののレギュラーシーズンでは1位通過し、チャンピオンズ・リーグを制した強豪である。
「入るための準備は万全にしていましたが、準決勝の1セット目からの交代も、決勝のスタメンも予想外でした」
と石川は語るが、試合が進むにつれギアを上げて優勝に貢献しただけでなく、MVP受賞というドッピエッタ(W受賞)をやってのけた。
しかし決勝に関しては、本人は全く満足していない。MVP発表で「クワットルディチ(背番号14)」と呼ばれた瞬間の感想を聞いても、
「いや、嬉しいけど悔しいほうが大きかったんで。プレーが全然だめだったので」と石川。
その時の気持ちがよみがえってきたかのように、4日経ったこの時も悔しさを前面に押し出した。具体的に良くなかったプレーを聞いても「スパイク、レセプション、サーブも・・・全部ですね」と何もかもに納得がいかない様子だ。
「僕的にはMVPはジャンネッリかセメニウクです」とまで付け加えた。(下に記事が続きます)
様子見はおしまい、やるしかない
決勝は1セット目を取ったものの、トレンティーノに2、3セットを連取されて後がなくなった。4セット目は開始から闘志のオーラをまとい、自身のディグとカバーが相手スパイクのミスを誘って2点目が入った。その時、魂を込めてシャウトする姿は、遠くメディア席の端にいた筆者の目にも飛び込んでくる迫力だった。いったい何が変わったのだろうか?
劣勢の間は、勝たなくてはいけないのに、また自分自身のプレーがうまくいっていないプレッシャーを石川は感じていたと言う。タイムアウトやセット間は、監督よりもキャプテンでセッターのジャンネッリが「何かを変えなくてはダメだ、何かを持ち帰れるような試合にしないといけない」とチームを鼓舞した。その言葉が石川の心を動かしたわけではないが、チームに合流してまだ1か月、コートの中でもまだ「様子見」をしていた自分自身を4セット目から変えたのだ。様子見はやめて全力でコートに立つしかない、やるしかない、と。
ジャンネッリがそれを感じ取ったのかは知る由もないが、4、5セット目は明らかに石川へのトスが増えた。しかも、勝負所、最後の1点もだ。「1点を決めきれる力」を持つ選手ばかりのペルージャで、しかも1冠目のかかる大事な決勝で、ジャンネッリは石川にボールを託した。
「託されてありがたかったし、決められてよかったけど、2、3セット目もそれができていれば」
と、何を言っても自分への反省で締めくくる。よほど悔しかったのだろう。(下に記事が続きます)
試合中はスラングを多用
スーペルコッパから2日後の9月24日、国営放送RAIのウンブリアローカル局のスポーツ番組で、石川はシルチ会長とともにスタジオ出演をした。途中、同じくRAIのバレーボール解説者アンドレア・ルッケッタもオンラインゲストに迎え、30分の大半は石川以外の出演者のトークが続いたものの、聞かれた質問には丁寧に答えた。
会長からは「もっと(声の)ボリュームあげような」とツッこまれつつも、「僕が同じだけ日本に住んでもユーキのイタリア語みたいに日本語は絶対にしゃべれないよ!」と石川のイタリア語には賞賛の声が並ぶ。スタジオでは礼を述べるにとどまったが、実際はイタリア語に対しても全く満足していない。
TV出演やインタビューで緊張することはないが、知らない単語や質問が分からなかったらどうしよう、と今でも思う。勉強はしているものの、単語しかり、文法しかり、バレーに関することと日常生活で使うもの以外を覚えるのは難しい。普段困ることがなくなるレベルに到達しているからこそ、そこから先に行くのが難しいのは、長く海外に住む人間の誰もが経験することだ。
「試合中はけっこう汚い言葉使ってます」と明かす。
バラエティーに富んだイタリアのスラング。しかし若い世代を中心にそれを頻繁に口にするため、石川も自然に覚えたそうだ。(下に記事が続きます)
イタリアのスター・ジャンネッリと人気を二分
石川がペルージャを散策していると「ようこそペルージャへ!」「頑張ってね」などと声をかけられることもしばしば。かつてペルージャで彗星のごとく現われ活躍したサッカー元日本代表の中田英寿さんと並んで称されることも多くなったが、「サッカー人気には敵わなくても、中田選手と並んで名前が出てくるくらい、記憶に残る選手になりたい」と石川は言った。
スーペルコッパで筆者が初めて生で見たペルージャのファンは、想像以上にとてつもない熱量だった。フィレンツェのアリーナには400人もの大応援団が押し寄せ、バレーボールでなくサッカースタジアムではないかと錯覚するような熱狂とメガホン、太鼓の音に包まれる。会場内のペルージャグッズでは新発売の「さあ祐希Tシャツ」は飛ぶような売れ行き。試合後のファンサービスで「彼女はいるの?」と迫る女性ファンのみならず、石川は早くも広くペルージャファンの心をつかんでいた。MVP発表で14番が呼ばれた時に大歓声でアリーナが揺れたように感じたのも、決して日本人である筆者のひいき目ではない。
9月25日に行われた新チーム発表会でも多くのファンが集まった。開始が1時間30分も遅れたのに文句を言う人は誰もいない。ペルージャが獲得したばかりのスーペルコッパのトロフィーとの写真撮影やおしゃべりなどで待ち時間を楽しむファンたち。メインの選手入場からファンサービスへと進むにつれ、熱気は最高潮に。選手から投げられた小さなバレーボールにサインと写真撮影を誰よりも多く求められたのは、イタリア代表でもペルージャでもキャプテンを務めるジャンネッリと、そして早くも「ペルージャの14番」の地位を確立した石川であった。(下に記事が続きます)
スタメンで開幕ストレート勝利も「油断は禁物」
シーズン開幕戦はホーム、今季も台風の目になるであろうヴェローナとの対戦だった。プロトニツキの古傷が再発したこともあって石川はスタメン起用されたが、先の活躍を見れば理由はそれだけではない。この日は国営放送RAIの実況からも「波があった」と評された石川だったが、監督は特に開幕3連戦を重要視。そしてさらに長いシーズンは続く。
「浮わつかず、スキを見せず、自分たちのプレーをしっかりやっていくだけです」
世界王者のペルージャの一員となった気負いもなく、自己評価は厳しいが卑屈になるわけでもない。ストイックだけれど、ガツガツしているようにも見えない。10シーズン目となるイタリアの地で、バレーボールを極めると決めたプロフェッショナルは、自然体でただただ、その目標へ向かってゆくだけだ。
今シーズンが終わるころ、このペルージャでチームが、そして石川が、栄冠に酔いしれるのを見届けたい。
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コメント一覧 (7件)
祐希選手の今の状況や気持ちが手に取るようにわかりました。こういう記事は本当に嬉しいです。良い記事をありがとうございました。以前の真佑選手の記事も毎回楽しみにしてました。
ところで、お願いがあります。以前、テレビ番組で祐希選手が「イタリア語がイタリア人のように話せるようになりたい」と言っていたのを思い出しました。少しずつ、自分が目指すレベルに近づいている感覚はあるのでしょうか。いつか聞いてみていただけると嬉しいです。
嬉しいコメントをありがとうございます!
イタリア語は記事に書いているようにまだまだ満足はされていないようですが・・・もしまた機会があれば、聞けるようであれば聞いてみます。
次の取材はノヴァーラですので、楽しみにしていてください。
Complimenti per il bel articolo, si capisce che questo è il tuo lavoro e ti auguro di continuare su questa strada!
Che dire di Yuki-san, penso che sia uno dei giocatori più amati e stimati da tutti i tifosi italiani.
Immagino che non sarà stato facile passare dalla vita di Milano a quella di Perugia, ma penso che sarà ripagato dalle grandi soddisfazioni sportive.
Questa è una squadra che può vincere tutto con Yuki-san!
Grazie Leo come solito per i complimenti che per me sono quasi troppi!
Comunque sono molto felice che l’articolo ti sia piaciuto.
Spero anch’io di continuare a scrivere articoli dello sport.
Yuki è molto contento anche della vita a Perugia dove si può concentrare al massimo per la sua professionalità. Spero davvero che faccia bella stagione vincendo tutto possibile!
約四半世紀前にイタリアにバレーボールのセリエAを見に行った者としては、今の状況が信じられないほど嬉しく、感慨深いです。イタリアで10年プレーし「世界一の選手」を本気で目指せる石川選手のようなプレーヤーが出てきたり、多くの選手がヨーロッパのチームと契約したり、中山さんを始めとする複数の日本人記者が現地からレポートしていただいたり・・・。
もっと多くの人がバレーボールを楽しみ、バレー界が豊かになるよう、私は日本でSVリーグが発展するよう、ささやかながらチケット代を払うことで、バレーボールを応援させていただきたいと思っています。
石川選手は、昔はバレーボールですら見ることに興味が無かったようですが、今ではさすがに中田さんのことはインプットされているのですね(笑)。
コメントをありがとうございます!
25年前というと、イタリア男子バレー黄金期ですね✨日本は・・・ですが💦
そんな差があったのに今では日本選手がトップクラブで大活躍とは、本当に感慨深いですよね。石川祐希選手はもちろんですが、大塚選手や垂水選手、石川真佑選手や女子の2人も、在住者ライターとして周辺のインタビューなども含めて深い記事を書いていきたいと思ってます。村山さんもぜひ、またイタリアに観戦にいらしてください!
日本人がペルージャに来たら、やはり「ナカータ」は避けて通れません(笑)石川選手の取材で行ったのに、いまだに私も街中でナカータと何度も言われました。
返信ありがとうございます!
パピ、ジャーニ、ゾルジらがいた時代でした。日本は加藤陽一さんが代表に入ってくる直前くらいでしょうか。次にイタリアに行けるのは、退職する15年後かなと思いますので、それまでは中山さんの記事で現地の雰囲気を感じて楽しませていただきます。
約25年前に1年半しかいなかったのに、今も「ナカータ」と言われるのは、やっぱりすごいですね。これからは「ユーキ」とも言われたらいいですね。
この話の流れで、無茶を承知のお願いで、中田さんと石川選手の対談を企画していただけたら・・・
調べてみたら、加藤さんもペルージャにいたんだった💦 石川選手に直接影響は与えていないかもしれませんが、海外でプレーした先駆者であり、歴史を作ってきた一人だと思うので、忘れないように書いておきます。
石川選手の自叙伝を読んだ限りでは、石川バレー少年は加藤さんらの海外挑戦のことをおそらく知らなかったようなので、ショックでした。今の石川選手の活躍はさすがに全てのバレー少年が知っているでしょうけど、「石川選手の思い」も自叙伝などにより伝わってくれればいいなと思ってます。そうすれば日本の競技レベルやバレーを楽しむ環境のレベルが上がっていくと思いますので。