第3回IHF4人制車椅子ハンドボール世界選手権は2024年9月17~21日、エジプトで開かれ、初出場の日本代表は8カ国中5位だった。決勝トーナメント初戦で優勝国エジプトと当たり、第3セットの最後まで競るなど、世界を相手に健闘した。日本のエース諸岡晋之助に、帰国直後の成田空港でインタビューした。
想定外な出来事が起こる。それが世界の戦い
久保:車いすハンドボール日本代表にとって初の世界選手権はいかがでしたか。
諸岡:自分たちが「やれた」手応えと、初出場ゆえの弱さ、見積もりの甘さの両方がありました。会場や審判、世界のサイズやレベルの高さ、戦術の使い方などは、動画を見ただけではわからない部分。会場で言えば、体育館の床が板ではなくタラフレックスでした。車いすだとスピードが出にくい床だから、相手の車いすが遅いのではなく、床の違いだったのかと。いざ現地に行かないと分からないことがいっぱいあり、初出場を痛感した大会でした。
久保:初出場の洗礼ですね。
諸岡:大会前の障がいのクラス分けでは、永田裕幸さんが「お前はクラス4だ」と言われて、いきなり海外の洗礼を浴びました。こちらも抗議して、永田さんは本来のクラス2に戻りましたけど、永田さんよりも状態が悪いはずの木村正也さんが、クラス3にされてしまいました。大会がまだ3回目なので、大会本部の見識も甘いし、クラス分けについて分かっていない部分もあるのでしょう。
久保:クラス2のはずの木村が、大会ではクラス3になっていて、ビックリしました。
諸岡:僕らも急に言われて、困った部分がありました。GKに木村さんを入れて「守り勝つ」布陣も準備してきたのに、その組み合わせができなくなりました。でもそんな時に、永田さんが助言してくださいました。過去には車いすバスケットボールでも同じようなことがあったみたいで「そういうことはあるから、いかにアジャストしていくかだよ」と、経験値の部分で僕らを引っ張ってくれました。(下に記事が続きます)
予選ラウンドで得た物
久保:予選ラウンドではフランス、アメリカ、ブラジルと対戦して1勝2敗。グループAで3位でした。
諸岡:今回はフランス、アメリカ、日本の初出場3カ国が同じグループAに集まったので、お互い探り探りの部分はありました。2戦目のアメリカ戦は結果負けましたけど、色々な教訓が得られました。審判に対して少し感情的になってしまい、僕が失格になって、小貫怜央も第3セットの最後に退場になり、2人ともシュートアウト(健常の7人制ハンドボールで言う7mスローコンテスト)に出られませんでした。
久保:アメリカ戦はシュートアウトで決め切れる人がいませんでした。
諸岡:スタートで出場する4人やシューターは、何があっても失格になってはいけない。必ずシュートアウトまで残って、チームを勝たせないといけないと痛感しました。
久保:続くブラジル戦では、日本がやりたかったプレスDFを相手にやられて、セットカウント0-2で敗れました。
諸岡:車いすバスケでプレスDFをブレイクするのには慣れていましたが、いざハンドボールでやると人数が少なかったり、ボールが小さすぎて飛んで行ってしまったりで、パスミスが多くなってしまいました。予選ラウンドの反省を踏まえて、ブラジル戦のあとのチームミーティングでは戦術や修正点を話し合いました。プレスDFに対する崩し方もそうですし、チームとしては「メインになる戦術がひとつ必要だったんじゃないか」という話になりました。「こう来たら、こうする」といった準備はしていましたが、自分たちの核になる戦術があった方がいい。その場の対応で後手に回るより、1つ強力な武器を持っておこうという話になって、僕らが仕掛けていく戦術を作って、決勝トーナメントではアクティブにやれました。(下に記事が続きます)
覇者エジプトにあと一歩まで迫る
久保:決勝トーナメントの初戦は開催国で、今大会優勝のエジプトでした。エジプト戦は3セット目までもつれましたが、最後の最後で決勝ゴールを決められてしまいました。
諸岡:エジプト戦に関しては、大会得点王のマグディにどれだけアジャストできるかが、勝負のポイントでした。結果的にマグディに点は取られましたけど、僕らのなかで手応えはありました。エジプト戦で1セット目を取れたのも、プレスDFに対して修正できたからです。味方をフリーにして、楽にパスを展開して、シュートを打たせる戦術ができました。エジプトの強さも感じましたけど、そんな相手にも1ゴール差だったので、世界で戦える感触をつかめました。
久保:順位決定戦に回ってからは、ポルトガル、チリを破り、いい形で大会を終えました。
諸岡:小貫が最終日のチリ戦で爆発したのは、怜央が活躍できる戦術をひとつ作ったからです。どういう戦術かは、動画を見て、みなさんにも勉強してもらいたい。明らかにブラジル戦までと決勝ラウンドでは違う部分があるんで。そこがわかれば、車いすハンドボールを見るのが面白くなりますよ。
久保:チリ戦の第2セット7分10秒、小貫が決めたスペクタクルシュート(360度一回転のシュート)ですね。大会序盤に調子が上がらなかった小貫ですけど、彼のシュート力がチームにフィットすれば、接戦を勝ち抜けるはずです。
諸岡:今大会は、日本の選手個々の強みが出ていたと思います。永田さんがポルトガル戦の第3セットで見せたドリブルカットは、永田さんの凄みが凝縮されていましたし、GKの森谷幸生さんも阻止率が高かったです。女子選手では古矢千尋さんが不慣れなGKも兼ねながら、ほぼフル出場で頑張ってくれたし、キャプテンの安田孝志さんは自分の時間を削ってまで、選手全員のケアに回ってくれました。今大会の一番の功労者は、僕はヤスさんだと思っています。
久保:トレーナー兼キャプテンという大変な役割で、最年長の安田が裏でチームを支えていたんですね。
諸岡:みんなが自分の仕事をやって、結果的には5位でしたけど、勝って終われた。世界を相手に勝てた。今回は急ごしらえな部分もありましたけど、きちんと準備をしておけば、次は確実にメダルに手が届くだろう。そういう肌感覚は、選手の間にありました。日本の車いすハンドボールは世界でも勝てるんだぞ。これは声を大にして言いたいですね。(下に記事が続きます)
自国のハンドボールに誇りを持って戦う
久保:世界選手権というハンドボーラーにとって憧れの舞台はどうでしたか。
諸岡:僕らはハンドボールのアンバサダーとして大会に行ったので、時間がある時には全部の国の選手と話しました。特にポルトガルは日本のことを「ハンドボールファミリーだ」と認めてくれました。「ポルトガルと日本は戦術を使って、しっかりとハンドボールをしていた。だから俺たちはファミリーだろ」と言うんです。ポルトガルは去年の6人制の世界選手権優勝国ですから、自分たちのハンドボールに誇りを持っています。前回の4人制で優勝したブラジルにも誇りがあったし、エジプトには開催国の誇りがありました。エジプトは優勝後のインタビューで「一番怖かった対戦相手は日本だ」と話していました。
久保:まさにプライドをかけた戦いだったんですね。
諸岡:決勝が始まる前までは、僕が暫定で得点王だったんです。だけど決勝戦でエジプトのマグディに逆転されました。試合後、マグディが僕のところにきて「得点王は狙っていた。モロ、お前には負けない」と言っていましたね。
久保:エジプトのマグディは6試合で72得点。諸岡さんは6試合で71得点でした。
諸岡:1点差だったんですよ。悔しいな。でも、世界のハンドボールファミリーに受け入れてもらえたのが、一番嬉しかったですね。色んな国の人から「お前はハンドボールをやっていただろ」と言ってもらえました。ユニフォーム交換もいっぱいして、ユニフォームが足りなくなりました。次はもう少し多めに用意しておかないと。
久保:それも次回への教訓ですね。
諸岡:僕らは今回経験したことを、次につなげなきゃいけない。今回は優勝できなかったけど、勝つことも負けることも経験して、多くの物を得られました。次は絶対にアジャストできるので、あとは5位から上がっていくだけです。
久保:2年後がまた楽しみです。
諸岡:9年前に東俊介さん(現・北國ハニービー石川監督)に声をかけてもらって、一緒に仙台まで行って車いすハンドボールの体験会に参加しました。さらには宮城フェニックスの一員として全国大会にも出場させてもらいました。これが僕の車いすハンドボールの原点です。そして今、世界の舞台で戦えるようになりました。これからも世界で金メダルを獲るまで走り続けるので、今後とも応援をよろしくお願いします。
諸岡 晋之助(もろおか・しんのすけ) 1994年6月19日生まれ、東京都出身。明星高~明星大とハンドボール部に所属していたが、20歳で交通事故に遭い、右手と左足に障がいが残った。その後、東俊介(北國ハニービー石川監督)の紹介で、宮城フェニックスの車いすハンドボール体験会に参加。車いすハンドボールを始めるきっかけとなった。また車いすバスケットボールでは東京ファイターズB.Cに所属し、チェアスキル(車いす操作の技術)を磨いた。車いすバスケの2023年度強化指定選手に選ばれている。車いすハンドではKnockü SCに所属。2024年第3回世界選手権に日本代表のエースとして出場し、得点ランキング2位になっている。障がいの持ち点は、車いすバスケでクラス3.5。車いすハンドでクラス4。
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