MENU
ニュースレターに登録する

「今週の1本」やイベント案内など、スポーツの風をお届けします。

個人情報の扱いはプライバシーポリシーをご覧いただき、同意の上でお申し込み下さい。

【セーリング】パリ五輪「銀」岡田・吉岡組の発言で感じた「主語」の違い | 混合470級

江の島ヨットハーバーで写真撮影に応じる岡田奎樹・吉岡美帆組
江の島ヨットハーバーで写真撮影に応じる岡田奎樹・吉岡美帆組=2024年8月20日、原田写す(以下すべて)
  • URLをコピーしました!

2024パリ五輪セーリング競技、男女混合470級で銀メダルを獲得した「マルセイユの快挙」から10日あまり。日本セーリング界に20年ぶりのメダルをもたらした岡田奎樹(トヨタ自動車東日本)・吉岡美帆(ベネッセ)組がコンビを解消することになった。2024年8月20日、神奈川県藤沢市の江の島ヨットハーバーで開かれた五輪帰国後の記者会見。そろってTeam Japan のユニホームに身を包み、銀メダルを首にかけて報道陣の前に姿を見せた2人だが、その発言は対照的で、見据える今後の人生はもう別々の針路を取っていた。金メダルのオーストリアペアにわずか3ポイント差と肉薄し、世界トップクラスの実力を示した日本最強ペアだけに、これで終わるのは惜しい気もするのだが…。2人は8月21日から江の島で始まった全日本選手権(25日まで)に出場中。この凱旋レースが同ペアでのラストレースになるという。

目次

吉岡「五輪に費やすエネルギーはものすごい」

会見で次の目標を問われた28歳の岡田は「銀メダルの悔しさがある。もう一段、上のメダルに挑戦したい」とロサンゼルス五輪への意欲を示した。種目は2人乗りの470級にこだわらず、他種目への転向も視野に入れる。

その一方で、33歳の吉岡は「私はこの先についてははっきり考えていないですけれど…」と言葉を濁した。「ここまで3回、オリンピックに挑戦してきてそこに費やすエネルギーはものすごい。4年間また同じことをやる、そこまで頑張れる自信が今はない」と淡々と話した。リオ五輪5位、東京五輪7位を経て、パリではようやくつかんだ銀メダルだった。

岡田は風を読み、ヨットの後方で舵を切ってコースを選択するスキッパー。一方の吉岡は体全体を使ってヨットのバランスをとるクルーというポジションだ。東京五輪までは男女別々の2人乗りで争われた470級。東京五輪で岡田は外薗潤平とのペアで男子470級7位。吉岡も吉田愛とのペアで女子470級7位だったが、パリ五輪から470級が男女混合種目となったことでペアを結成した。東京五輪後、年下の岡田から吉岡に「パリを目指すやる気があるのでしたら、ご検討お願いします」とペア結成を申し出たという。

日本セーリング連盟の公式Xより

男女差に戸惑い「動作練習、何度も見直した」

記者会見で銀メダルを見せる岡田・吉岡組
記者会見で銀メダルを見せる岡田・吉岡組

パリ五輪までヨットの上で息を合わせてきた2人だが、吉岡には我慢してきたこと、犠牲にしてきたことがあったという。「私は甘いものが好きで、たまには食べるんですけど、制限なく、食べたい」と笑わせたが、最も大変だったことは何かをさらに問うと、「男子に合わせること」だったという。

「(470級が混合種目になって)女子から男子のペアに変わって通用しない部分があった。特に筋力のギャップを感じた。自分がこれがベストパフォーマンスだと思う動作をしても、まだまだ上があって、通用しない。海の上だけでなく、陸上でも、海外に遠征しても、動作練習を一つひとつ見直して、何度もやり直してきた。その過程がきつかった」。2023年世界選手権(オランダ・ハーグ)で金メダルを獲得し、パリ五輪でも日本セーリング界初の金メダルに挑んでいた。重圧やそれを目指した体力的な負担は想像に難くない。

スキッパーの岡田も吉岡をフォローした。「吉岡さんのようにこんなにパワフルに動ける女性は日本にいない。それでも経験値や練習量がものをいうスキッパーにクルーが合わせるのは大変。クルーがそれについてこれなくなると、スキッパーの経験値が停滞するので」(下に記事が続きます)

何もかも正反対なふたり

2023年秋にPen&Sports が最初に岡田・吉岡組をインタビューした時から感じていたことは、2人は本当に同じヨットに乗って果たして波長が合うのかと疑問に思うほど、凸凹のペアという印象だった。吉岡自身「岡田選手とは真逆の性格」と話す。

インタビューでは、戦略家で雄弁な岡田が8割話す。吉岡はじっとそれを聞きながら、時折口をはさむ。5歳から大分県別府市のB&G別府海洋クラブで1人乗りのオプティミスト(OP)に乗り始めたセーリングエリートの岡田に対して、吉岡は中学ではバレーボールをしていたのが、進学した兵庫県立芦屋高校のヨット部で初めてセーリングに出会った。高校から競技を始めた遅咲きの選手だ。

パリ五輪でメダル獲得が決まった瞬間を見ても、雄たけびを上げて感情を爆発させた岡田に対し、吉岡は「すぐには実感がわかなかった」と喜びが控えめに映った。

日本セーリング連盟の公式Xより

「自分が」と「私たちは」の差

囲み取材に応じる岡田・吉岡組
囲み取材に応じる岡田・吉岡組

そして何より、筆者が2人の決定的な違いを感じるのは発言の「主語」だ。

セーリングエリートで風を読む能力に長けている岡田は「海面が七色に見える」と先輩セーラーに豪語するほどの天才肌。その自信こそが彼の持ち味であり、結果を手繰り寄せていると思う反面、彼の発言の録音を何度聞いても主語は常に「自分」に偏っていることが気になる。時にはビッグマウスが過ぎると感じてしまうこともある。

記者会見後の囲み取材でも「自分はパリ五輪で結果を出して、発言力を得てしまったので、今後(の身の振り方)はどうにでもなる」という主旨の発言が飛び出した。

スポーツ報知の吉松忠弘記者が書いた「コンビ解消」の記事が転載された8月20日のYahoo!ニュースのコメント欄には以下のような辛口な読者コメントが書き込まれている。

「メダルを取った時の岡田選手のインタビューを見ていると、自分!自分!しかなかった。吉岡選手は自分がメダルを取るための手下だったんだろう。吉岡選手が気の毒だった」

筆者自身はそこまでとは思わないし、このコメント自体が岡田に気の毒だと思うのだが、そう感じた人が少なからずいるとしたら、実にもったいないことだ。岡田が「自分が」というところを「自分たちが」と言えば、だいぶ印象が変わるのにと思う。

一方の吉岡の発言は違う。彼女の会見やインタビューの発言を聞き直してみたが、主語は「私たち」が圧倒的に多い。言葉少なだが、吉岡の発言に筆者が好感を抱くのはその点だ。

吉岡は「ぐいぐい引っ張ってくれた」という岡田の才能を心からリスペクトし、ヨットの上ではそのスキッパーの岡田の指示通りに体を張ってきた。パリ五輪の輝かしい銀メダルは、岡田・吉岡の2人の力の結集でしかなしえなかったが、特に吉岡のバランス感覚、5歳年下の岡田を包み込むような包容力、割り切った上での吉岡の献身がこのペアのベースにあった。

ペンスポニュースレター(無料)に登録ください

スポーツ特化型メディア“Pen&Sports”[ペンスポ]ではニュースレター(メルマガ)を発行しています。「へぇ」が詰まった独自ニュースとスポーツの風を届けます。下記のフォームにメールアドレスを記入して、ぜひ登録ください。

個人情報の扱いはプライバシーポリシーをご覧いただき、同意の上でお申し込み下さい。

  • URLをコピーしました!

\ 感想をお寄せください /

コメントする

目次