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【パリ五輪/柔道】阿部詩、衝撃の一本負け。号泣の先「マーチ」は続く

パリ五輪柔道女子52キロ級、2回戦で一本負けを喫した阿部詩選手
パリ五輪柔道女子52キロ級、2回戦で一本負けを喫した阿部詩選手=2024年7月28日、パリ・シャンドマルス・アリーナ(写真:フォート・キシモト)
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パリ五輪第3日の2024年7月28日、柔道は2階級が行われ、男子66㌔級の阿部一二三(パーク24)は優勝して、柔道では3年前の東京での大野将平(男子73㌔級)に続いて8人目の五輪連覇を達成した。しかし、女子52㌔級の妹・阿部詩(同)は2回戦で第1シードのケルディヨロワ(ウズベキスタン)に一本負け。敗者復活戦にも回れず、メダルに届かなかった。前回の東京で兄妹優勝を果たした2人は、連覇を狙ったパリの地で明暗が分かれた。

目次

反応のよさ裏目に

信じられない光景だった。豪快な谷落としで叩きつけられた一本負け。詩は現実が受け入れられないようにしばし畳の上で座り込んで両手で頭を抱えた。試合場から降りる時になって、号泣した。平野幸秀コーチに抱き着いたが、人目もはばからない叫び声のような泣き声で膝に力が入らない。なかなか立ち上がることも出来ずに、最後は抱きかかえられるようにして控室に消えた。

東京五輪以降、無敗。3月の国際大会でもオール一本勝ちして優勝。圧倒的な優勝候補で、個人戦男女14階級の中でも、安定感は抜群と見られていた。

調子はよすぎるくらい、よかったのだと思う。1回戦の出口ケリー(カナダ)戦は大外刈りで一本勝ち。2回戦も先に得意の内股で技ありを奪い、有利に試合を進めていた。それがほんのわずかな「落とし穴」にはまってしまう。

衝撃的な場面。追い詰められていたケルディヨロワは必死に抱き着くように詩の体に詰め寄ってきた。そこで、反応のよさが裏目に出る。詩が出てきた相手の足に大内刈りを掛けようとして、逆に体が伸びあがった。そこを勢いで持ち上げられ、軸足を払われた。圧力をまともに受けてしまった形の一瞬の出来事。これが柔道の恐ろしさか。非情な勝負だった。詩を破ったケルディヨロワは、その後も勝ち進み、金メダルを獲得した。

2度目の五輪、谷亮子さんから刺激

今は、悪夢を振り払うことはなかなか難しいだろう。悲壮な決意、出来るだけの努力を全て行って臨んだ2度目の五輪だ。だが、思い出して欲しい情景がある。4月末の黄金週間、「ヤワラちゃん」の愛称で親しまれた女子柔道界のレジェンド、谷亮子(旧姓田村)さんに会い、刺激をもらった時のことだ。

増地克之・日本代表女子監督の発案で、谷さんが五輪代表を含む女子の強化選手らの前で講演した。

私が新聞記者になり、女子柔道を取材し始めたのは1986年。80年に第1回の世界選手権がニューヨークで開かれ、ようやく女子の競技化へ向けて世界中が本腰になった頃だった。五輪では88年ソウルで公開競技に。続く92年バルセロナから正式種目になった。その中で世界最高の選手が「ヤワラちゃん」だった。

16歳で初出場したバルセロナから5大会連続で代表に。この間、金2、銀2、銅1と全ての五輪でメダルを獲得した経験を、この日は約1時間、包み隠さず話した。(下に記事が続きます)

「注目されて苦労は」と尋ねた詩

例えば、五輪を特別な大会と思わないための方策として披露したのは、こんな練習法。「私は1カ月前くらいからは『きょうは五輪の日』というのを何回か設けて、朝起きて、顔を洗って、練習でテーピングを巻く時も『きょうが本番』とイメージして巻くと違う。夜に寝るまで、その日を何度も経験し、特別な日と思わないようにした」

「五輪には魔物がいるのか」の質問もあった。だが、それには、「魔物はいない。見たという人もいるかもしれないが、それは気持ちの持ち方。緊張したら、自分のことではなく、戦い方、戦略とかに気持ちを持って行くことが大切。私も負けた時はその原因を見つけ、悔しさを次のエネルギーにした」と答えた。

詩が質問したのは、重圧との付き合い方だった。金メダリストになり、女子だけでなく、柔道界全体の期待の星として兄とともに国民全体から2連覇を期待されていた。「すごく注目された中で、だからこそ勝たなければならないという苦労は…」。切実な問いかけだった。(下に記事が続きます)

谷さん「プレッシャーを力に」

答えはこうだ。

「詩選手も注目されていろんな経験をしていると思うが、私は会見とかで注目されるのが力になった。マスコミに育ててもらったと思う。自分が勝ちたい思いをどんどん発信して、言葉にした分、努力をする。詩さんを目指している子どもたちがたくさんいると思うので、そんなプレッシャーを力に変えていける選手になって欲しい」

詩を自分の後継者候補と認めて、「自分のためだけではなく、柔道を志す子どもたちみんなの憧れになれ」とエールを送った。

講演後、詩の表情は晴れ晴れとしていた。「自分がまだ赤ちゃんのように思える。勝ち続けることの素晴らしさ。自分自身がまだまだ長く、いろんなことに挑戦できると思った。すごい人というより、身近に感じたことのない雲の上の人だと思っていた。きょうはキラキラした1日になった」。詩に谷さんの願いが引き継がれたように思った。(下に記事が続きます)

パリで2歩さがったが

詩の座右の銘は「千里の道も一歩から」だそうだ。実は兵庫・夙川学院高時代に、偶然、昭和の大スター歌手だった水前寺清子さんの「三百六十五歩のマーチ」を聞いたことがある。「一日一歩 三日で三歩 三歩進んで二歩さがる」というくだりがその時の心に刺さったという。当時も有望選手ではあったが、兄ほど順風満帆ではなかった。「これは、人生そのもの」と、そこから自分を励まし、鼓舞する言葉が決まった。

今こそ、まさにその状況と言ってよいのではないか。3年前の東京で3歩進んだが、このパリで2歩さがった。だが、まだ24歳には4年後のロサンゼルス五輪を始め、人生の先がたくさんある。

会場で泣き崩れる彼女に、異国の観客席から手拍子と「ウタ」「ウタ」「ウタ」のコールが響いた。詩をこの階級の第一人者として讃えるとともに、再び、歩み出すことを願う激励だと感じた。柔道大国フランスのファンの温かさが、詩の心に届くことを切に願う。

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