元イタリア代表のキャプテン、イヴァン・ザイツェフ(36歳)は、22季目となる2025-26シーズンを北部ピエモンテ州の人口5万6千人の街、クーネオで迎える。昨季は途中からトルコのガラタサライでプレーしたが、今季から初昇格するクーネオ・バレーでスーペルレガに復帰する。イタリア、そして世界のバレーボールシーンを席巻した「皇帝」はいま、どんな未来を思い描いているのだろうか。2025年夏、彼が主催するバレーボールアカデミーのキャンプ中に話を聞いた。
リオ五輪準決勝の鮮烈な記憶
闘志むき出しの鋭い眼光。相手コートに叩きつける強烈なスパイク。金髪のソフトモヒカンにピアスという独特の風貌。イヴァン・ザイツェフは「Zar(ロシア語で皇帝の意味)」の愛称で世界中に名をはせた、イタリアバレーボール史に残るカリスマだ。
2016年リオデジャネイロ五輪のアメリカとの準決勝、1-2のビハインドで迎えた第4セットでイタリアが20-22とリードを許していた際の3本連続エースを含む5ブレイクは、まだバレーボールファンの脳裏に焼き付いているだろう。ザイツェフの活躍でイタリアは決勝に進み、銀メダルを獲得した。(下に記事が続きます)
「ビーチバレーでロス五輪出場」の夢を断念

イヴァン・ザイツェフ(36歳)は、モスクワオリンピック男子バレー金メダリストのロシア人の父と元水泳選手の母を持つ。父がイタリアリーグでプレーしていたためウンブリア州スポレートで生まれた。2004年にペルージャでA1(現スーペルレガ)デビューを果たし、2008年にイタリア国籍を取得するとすぐに代表入り。ロンドン五輪で銅メダル、リオ五輪で銀メダル。クラブではチヴィタノーヴァで2013-14と2021-22シーズンの2回、そしてペルージャでは2017-18シーズンにクラブ史上初のスクデットをもたらした。
そんなザイツェフは2023-24シーズン終了後、リオ五輪銀メダリストのダニエレ・ルポとペアを組んでビーチバレーに参戦して周囲を驚かせた。ビーチバレーへの転向か、はたまた二刀流か? がささやかれるなか、2024-25シーズン開幕直前の9月半ばにモンツァからザイツェフの加入が発表された。
「ビーチバレーでロス五輪の金メダルを狙いたかった。でもあと4年後にそこにたどり着ける実力はないと分かったんです。そんな時にモンツァから声をかけてもらって」
モンツァからオファーが舞い込んだ理由は、すでに加入が決まっていた同年代のOH(アウトサイドヒッター)で、共に一時代を築いたオスマニー・ユアンタレーナの肩の回復が遅れていたから。そんな理由でもザイツェフは快諾し、学校へ通う年齢になった3人の子供と妻をチヴィタノーヴァに残してモンツァへ赴いた。モンツァでの役割を終えた後、今度はちょうどオファーがあったトルコへ渡る。そして今季は、2015年の創部から初めてスーペルレガに昇格したクーネオと契約をした。「素晴らしいシーズンを経て昇格を果たしたこのクラブが、少しでも上の順位に行けるよう貢献したい」と語るザイツェフ。自分を必要としてくれるならどこへでもゆく、穏やかな表情の中にそんな強い意志が感じられた。
2025年5月18日、クラブの公式インスタグラムで投稿されたザイツェフのメッセージ動画
父の呪縛を逃れ、セッターからアタッカーへ

ザイツェフの真骨頂は、やはり鉄腕から叩きつけられるサーブやスパイクだ。しかし彼は、もともとアタッカーではなかった。父のビャチェスラフはセッターとして3度にわたって五輪に出場し、1980年の地元モスクワ大会で金メダルを獲得した国の英雄。そんな父は、息子が7歳の時から家の廊下で毎日500回のパスなどの執拗な特訓を課し、息子にセッターになることを義務付けた。
「唯一の息子である僕を自分のコピーにしたかったんですよ」と言うザイツェフに転機が訪れたのは2008年。A2のローマ在籍時にOHが足りなかったこともあり、クラブからOHへの転向を勧められたのだ。父のイメージを全力で払拭するかのようにザイツェフはOHとしての才能を開花させ、その翌シーズンにローマはA2で優勝してA1に復活、優勝したA2のコッパ・イタリアではザイツェフはMVPに輝いた。
その後の活躍は言わずもがな。代表ではOP(オポジット)でプレーすることが多かったものの、クラブではOHだったりOPだったり、OPでもレセプションに参加するオールラウンダーだが、個人的にはOPの方が好きなのだそう。しかしクーネオではOHが予定されている通り、自分が必要とされるならどんなポジションでも厭わない姿勢だ。(下に記事が続きます)
一番の思い出はオリンピックだけではない

22季目を迎えるザイツェフに、今までのキャリアで一番心に残っていることを尋ねると、「オリンピックと思われがちだけど、それは違う。それは単純すぎるよね」と筆者の心を見透かしたように答える。そして「勝ちも負けも、栄光も怒りも、そこから気持ち入れ替えて次に向かう時も。すべてがかけがえなく、人生を紡いでいるものだから」と続けた。「でもペルージャでのクラブ初のスクデット(2017-18シーズン)は本当に嬉しかったな⋯⋯あとミケーレ(バラノヴィッチ)とのルーベ(チヴィタノーヴァ)のスクデットも⋯⋯代表でも⋯⋯金メダルは取れなかったけどね」と、回顧することが多すぎて選べない様子だった。
華やかなキャリアを歩んできたようで、実際はそればかりではない。今では彼のトレードマークの一つにもなっているタトゥーがその証拠だ。10代の後半、「周りに強いられた息子像ではない自分自身」を確立するために髪を伸ばしたり耳や舌にピアスを入れたりしたのと同様に、厳格な父に向けた反抗の一つの形だった。タトゥーを入れるのは、肌に残したい出来事があった時やメンタル的にも時間的にも可能な時。例えば2013年に入れた左太もものタトゥーは、ロンドン五輪の記念であり、またチヴィタノーヴァに移籍して注目を浴びる生活の変化に戸惑い、ちょっと疲れていた頃でもある。その左太もものタトゥー、その絵柄はなんとサムライだった。(下に記事が続きます)
バレーボールへの忠誠を「サムライ」に込めて

サムライを選んだ理由について、「絵柄サンプル帳をぱらぱらとめくっていて、サムライを偶然見つけたんだ。馬で走るサムライが持つ主君に対する忠誠心は、それを持ってバレーボール人生を走り続ける自分と重なるから」と語る。セッターからアタッカーへ、イタリアからロシアやトルコへ、ビーチからインドアへ。ポジションやプレーする場所は変わっても、バレーボールへの情熱は変わらない。そして現役としてプレーを続けながら、「バレーボールに捧げた人生で得た経験を子供たちに還元したい」と昨年、ミケーレ・バラノヴィッチ(2024-25シーズンは日本の垂水選手が所属するチステルナで、今季はザイツェフともにクーネオでプレー)とフランチェスコ・ビリバンティ(元イタリア代表)とともに、イヴァン・ザイツェフ・バレーアカデミーを立ち上げた。

来年は元日本代表の浅野博亮さんが立ち上げた特定非営利法人VRAVO N+ から日本人参加者を募るため、そのコーディネイトと帯同通訳を担う筆者がアカデミーを視察した。小学生から高校生まで幅広く男女合計90名ほどが参加している中に「小さなザイツェフ」の姿もあった。数年前からチヴィタノーヴァのアンダーカテゴリーでプレーし、スーペルレガのホーム戦で時折ボールボーイも務める息子のサシャ君(11歳)だ。
当時スポンサーだったレッドブルにより制作されたドキュメンタリー映画で「父が犯した過ちを自分は繰り返したくない」と言っていたのを思い出し、「バレーボールをしたいって、サシャ君から言いだしたのですか?」と尋ねてみた。「いや、バレーボールをしたいとは言わなかった。バレーボールでオリンピックの金をとりたい、って言ってきたんですよ」と父親の顔になって笑みを浮かべた。
これからいつまで現役を続けるのか? 引退後はアカデミーの事業を拡大させるのか? まだ先のことを尋ねるのはまだ時期尚早な気がして質問を避けたが、 忠誠を誓ったバレーボールの世界から離れることはないだろう。
「ニミルやルカレッリのように日本に行くのも夢ですよ」。その言葉が実現する日が来るかもしれない。しかし今は、イタリアのコートでまた皇帝の姿を見られることに感謝し、新チームでの躍動を期待したい。
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