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【サッカー】イタリアの花形GKブッフォン引退。代表として最多176試合

ジャンルイジ・ブッフォン
ジャンルイジ・ブッフォン公式Twitterより
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元イタリア代表GKジャンルイジ・ブッフォン(Gianluigi Buffon)が2023年8月2日、自身の公式Twitterを通じて現役引退を発表した。17歳でセリエAデビューを飾り、ユベントスで10度のスクデット(セリエA優勝)、そして2006年ワールドカップドイツ大会でイタリアに優勝をもたらすなど代表通算176試合に出場したレジェンドの引退を、「ペンスポ」コラムニストの佐藤貴洋が振り返る。

目次

ブッフォン自らTwitterに引退表明動画

代表でも歴代最多176試合に出場するなど、約20年の長きに渡り守護神の座を守り抜いたGigi(ジジ=ブッフォンの愛称)は8月2日、自身の公式Twitterに動画を投稿し引退を表明した。

10代でのセリエA、ユベントス時代のスクデット獲得、そしてワールドカップにキスするシーンなど1分間の動画はイタリア語で締められていた。

FINISCE QUA.
MI HAI DATO TUTTO.
TI HO DATO TUTTO.
ABBIAMO VINTO INSIEME.
ここで終わり。
私に全てを与えてくれた。
私は全てを与えた。
我々は共に、勝利した。

ジャンルイジ・ブッフォン Twitterより

パルマ下部組織から1995年11月19日、17歳9か月でセリエAデビューを飾り、ユベントス、パリ・サンジェルマン、ユベントス復帰を経て、2021-22季にセリエBパルマに復帰。2022-23シーズンを終え去就が注目される中、自らキャリアに終止符を打った。

名門ユベントスで守護神

2001-02から2017-18シーズンまで、パリ・サンジェルマンを挟み、2019-20から2020-21シーズンまで在籍したユベントスで、ブッフォンは10度のセリエA優勝をもたらすなど地位を確立した。

私は2002-03から2006-07シーズンまでの5年間、セリエAを取材していた。MF中村俊輔のレッジーナをメインに、そしてFW柳沢敦、MF小笠原満男のメッシーナ、FW森本貴幸のカターニャを担当した。レッジーナはイタリアのつま先に、メッシーナとカターニャはシチリア島にある、いずれもプロビンチャと呼ばれる地方の弱小クラブだ。

セリエAを主戦場とするシーズン自体が奇跡でもある地方の田舎街。新聞、テレビで連日報じられる各国代表選手を、「おらが街」のホームで観戦できる機会は少ない。絶大な人気を誇るユベントスとの試合は、一種のお祭りでもあった。デルピエロ、ジダン、イブラヒモビッチ、トレゼゲ、ネドベド、カンナバーロ、ヴィエラ、テュラムらスター軍団の最後の砦(とりで)にブッフォン。GK大国イタリアにおいて、ブッフォンは脈々と継がれる「花形GKの系譜」をイタリア全土のセリエAのピッチで、そしてワールドカップで披露した。

中村俊輔のシュート、指先で防いだブッフォン

ブッフォンのすごさは言うまでもないが、忘れられないエピソードがある。レッジーナ対ユベントス戦。MF中村がペナルティーエリア内左から、左足インステップ気味に放ったファーサイドへのグランダーシュートを、ブッフォンが横っ飛びで伸ばした左手の指先で触れ、コーナーキックへと逃げたことだ。

スタジアム全体がゴールを確信するほどのシュートを防ぎ、チームを鼓舞するブッフォンの姿は守護神そのものだった。試合後、中村本人も「あれを指先で触るんだから、すごいよね。入ったと思ったよ」と明かすほどだった。

セリエBのユベントス取材

その後の2006年9月7日、セリエB開幕戦リミニ対ユベントスを取材した。ユベントスのGM、CEOらが主犯格として不正な審判選出の関与などの「カルチョ・スキャンダル」が発覚し、ユベントスは過去2季の優勝剥奪とセリエB降格処分を受けていたからだ。名門クラブ史上初のセリエB開幕戦。自チームのセリエA昇格ではなく舞い込んだ特別な開幕戦に、1万人収容にも満たないリミニのスタジアム周辺は異様な雰囲気に包まれていた。

試合は貴婦人と称されるユベントスが、気品を漂わすことなく1-1ドロー。試合後にデシャン監督、ブッフォンはじめ各選手はセリエBでの戦いが甘くはないことを口にしながらも、徐々に本領を発揮し1年でのセリエA復帰を果たした。

ユベントス「我々のレジェンド引退。ありがとう」

苦楽をともにした背番号「1」に対して、ユベントスは公式Twitterで「Una nostra Leggenda appende i guantoni al chiodo Grazie Gigi (我々のレジェンドが引退。ありがとうジジ)」とあえてシンプルに投稿し、遷移先の公式サイトでレジェンドへの感謝を述べた。

発掘したパルマのスカウト「ジジはオレが育てた」

ブッフォンは1991年、パルマのエルメス・フルゴーニGK育成コーチ兼スカウトに発掘され下部組織入りした。私もフルゴーニと少しだが接点がある。ちょうどブッフォンがパルマからユベントスに移籍した2001年夏、高卒でJ1大宮入団1年目のGK川島永嗣のパルマ短期留学の通訳を務めた時だ。

後にJリーグFC東京フィッカデンティ監督の要望を受け、GKテクニカルアドバイザーに就任した経歴のあるフルゴーニは、通訳の私にGK川島の能力を絶賛するとともに、「ジジは俺が発掘して育てたんだぞ!」と口癖のように人懐っこい笑みを浮かべていた。

パルマ公式HPは、キャリアの第一歩を踏み、そして終止符を打ったレジェンドに対して「i」を背番号「1」で表現しながら「G1GI È PER SEMPRE, G1GI IS FOREVER(ジジよ、永遠に)」との見出しで声明を発表した。

E’ il 19 novembre 1995 quando il mondo del calcio conosce per la prima volta Gianluigi Buffon. E’ lo stadio Ennio Tardini ad abbracciarlo, il Parma sfida il Milan. E’ la sua prima partita fra i professionisti, l’esordio assoluto in Serie A, il debutto di un futuro grande campione del calcio italiano e mondiale. Da quel giorno, Gigi è diventato Gigione, poi ha messo le ali di Superman, ma rimarrà per sempre Buffon.

パルマ公式HPより

1995年11月19日は、サッカー界がジャンルイージ・ブッフォンを初めて知ることになった日だ。将来、イタリアで、そしてワールドカップで王者となるべく彼を抱擁したスタジアムは本拠地エンニオ・タルディーニでパルマ対ACミランの試合で、プロとして最初の試合、セリエAデビュー戦だった。この日からGigiはGigione(より偉大なGigi)へと歩み、そしてスーパーマンの翼を身につけたが、、ただ、いつまでもブッフォンとしてあり続けるだろう。(翻訳・佐藤)

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