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【パリ五輪/柔道】斉藤立は完敗。父・仁さん流の組み手に希望 | 100㎏超級

パリ五輪の柔道男子100kg超級2回戦、クルパレク(チェコ)と組み合う斉藤立=2024年8月2日、パリ・シャンドマルス・アリーナで(写真:AP/アフロ)
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パリ五輪第8日の2024年8月2日、柔道はシャンドマルス・アリーナで個人戦最後の2階級が行われ、男子100㎏超級に出場した斉藤立(ジャパンエレベーターサービスホールディングス)は、準決勝、3位決定戦と連続の一本負け。2008年北京の石井慧以来となる4大会ぶりの最重量級王座奪回を逃すとともに、前回東京の原沢久喜に続き、メダルにも届かなかった。

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変則の組み手、低い背負い投げに屈する

文字通り、22歳の「若さ」が出た完敗だった。「自分の力不足で情けない気持ちでいっぱい。応援してくれた方々に申し訳ない。日本に帰れるのか」。試合後、斉藤は191cm、170kgの巨体を小さくしながら、「情けない」と「力不足」を何度も繰り返した。

まずは準決勝で、2024年の世界選手権王者である韓国のキム・ミンジョンに背負い投げで投げられた。ともに左組み。キムは小さい相手が大きい相手に引きつけられないように組む「片襟」と言われる変則的な組み方をしてきた。2023年12月のグランドスラム東京でも同じ体勢から大外刈りで技ありを奪われ、そのまま抑えられて一本負けしている。

なので、大外刈りは頭に入っていたのだろう。相手の攻撃をさばいて、難なく防いだ。だが、そこでキムは次にその技を頭にイメージさせながら、ひざ元に座り込むような低い背負い投げを掛けた。斉藤は後ろに投げられないようにつま先に重心がかかっていた上、まともに股の間に入るのではなく、斉藤の右足の前にかがまれた。そうすると、斉藤の左足の前には空間が出来る。あとはキムが畳に向かって手を引くだけ。つっかえ棒を外されたように、斉藤は自らの体重で崩れて行った。

準々決勝で韓国のキム・ミンジョンに完敗=国際柔道連盟の公式Xより

韓国合宿「勉強になった」が・・・

2歳年上のキムのことは国士館高時代から知っているという。試合巧者で、このところ勢いに乗っている。4月には韓国で個別合宿を決行。「韓国には苦手な組み手をする選手がたくさんいる。『ここは相手が嫌がる』とか、『ここはいらないや』とか、組手はとても勉強になった」と話していたのだが、本番では通じず、翻弄された。

負けた2試合、相手の土俵

3位決定戦のユスポフ(ウズベキスタン)はもっと変則的だった。左の相四つだったが、キムと同じ片襟側の肩越しに帯を取り、斉藤の頭を下げさせる。強引な払い巻き込みで技ありを奪われ、寝技を逃げようとして腕ひしぎ十字固めを決められた。

敗れた2試合は、ともに相手は斉藤とまともに組み合う気がなかった。逆に言えば、自らが勝てる土俵に斉藤を誘い込み、終始、ペースを握って試合を完結させた。(下に記事が続きます)

勝った2試合、父に近づく空気感

一方、勝った2試合には「希望」も見えた。まずは2回戦で前回東京の金メダリストであるクルパレク(チェコ)を大内刈りからの内股で一本勝ち。準々決勝は22年の世界選手権決勝で「指導3」で反則負けしたグランダ(キューバ)を延長の末に下す。こちらも払い腰からの内股で技ありを奪った。

相手が強豪だっただけではない。これまでの斉藤は引き手を持ち、襟は前襟をつかんでいた。基本通りではあるが、あの巨体では少し窮屈な印象を受けていた。しかし、この日は引き手の右手は袖ではなく、相手の左脇辺りや襟を持っていた。これなら相手を崩すのはベストではないが、組み手争いを続けて時間を取られることはない。さらに、襟を持つ左手は相手の体の前ではなく、首の付け根辺りをつかんでいた。私が大学時代に練習相手を務め、84年ロサンゼルス、88年ソウルで日本人初の五輪連覇を達成した父・仁さんが得意にしていた組み方と同じだった。

その形だと、斉藤の腰が真っすぐに伸びて、相手は投げられないように腰を引いて守りに入るしかない。仁さんや、「世界のヤマシタ」であるロサンゼルスの無差別級金メダリストの山下泰裕さんは外国勢と組んだ時には、もう相手が「負けた」と思うほどの圧力の違いを持っていた。それに近づくような空気感を斉藤からも感じた。

IOC(国際オリンピック委員会)の日本語公式Xより

まともな勝負なら世界トップクラス

まともな勝負ならば、斉藤の力が世界トップクラスなのは間違いない。だからこそ、準決勝、3位決定戦の対戦相手は「戦略」で勝ちにきた。その現実は受け止めなければならない。野球で言えば、斉藤は160㎞近い速球をスタンドまで飛ばす力はついているのだと思う。プロ野球で長嶋監督時代の巨人担当をしていた時だ。試合前のバッティング練習で、清原が打撃投手の速球を東京ドームの左翼席の最上段の壁まで運び、そのボールが跳ね返って内野のダイヤモンド近くまで戻ってきたことがある。だが、試合になると、相手投手は変化球やスローボールなど、緩急を使い、フォームを変則的にしたりして、様々な手でタイミングを狂わせてくる。ずば抜けた力があることが分かっているからこそ、相手はまともな勝負はしてこない。

国内での練習日、斉藤は明らかに階級の違う下の階級の相手とばかり組んでいる日があった。「国内には、外国選手のような大柄な選手が少ない」と話していたが、研究ならばそれで良い。だが、実戦に近い感覚を身に着けるという意味では、これからはもっと海外に練習の場を求めて、大柄でありながら変則的な相手と、数多く組んでいくことが必要になってくるだろう。(下に記事が続きます)

強者の教え「苦手に入る」

競技の違いはあるが、大相撲界では苦手な相手がいる部屋へは「出稽古」して、それを克服するというのが長年受け継がれている強者の教えだ。横綱だった千代の富士が、小錦が出てきて初対決で圧倒されると、その後は高砂部屋に通い詰めたのを取材していた。斉藤にはまだ、まだ時間と雪辱の機会はある。負けた悔しさこそが、何物にも代えがたいエネルギーになるはずだと、信じたい。

「打倒」を掲げてきたこの階級の絶対王者リネール(フランス)は、決勝で斉藤がもてあそばれたキムを豪快に払い腰で投げ飛ばして、母国開催の五輪で5大会連続のメダルを3度目の金メダルで飾った。強かった。「最強」を争う男子最重量級の勝者にふさわしい勝利だった。

IOC(国際オリンピック委員会)の日本語公式Xより

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