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【柔道】100キロ超級の斉藤立、パリ五輪に内定 | 日本柔道初の親子代表

柔道斉藤立
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日本柔道で「親子での五輪代表」が誕生した。パリ五輪・男子100キロ超級の代表に8月23日、内定した21歳の斉藤立(たつる)=国士舘大4年=。父は五輪金メダリストの故・斉藤仁(ひとし)さんだ。1964年の東京五輪で男子柔道が正式競技に採用されて以来、親子での五輪代表は初めての例となる。

目次

191センチ、165キロ。「お父さんの名前に恥じない柔道を」

仁さんは男子95kg超級で1984年ロサンゼルス、1988年ソウルの両五輪で金メダルを獲得。引退後は全日本代表監督などを務め、2015年に肝内胆管がんのため54歳で亡くなった。

「前例がないことをすごくうれしく思っている」「お父さんの名前に恥じないような試合、柔道をしっかり見せていきたい」。翌日の会見を伝えた新聞各紙には斉藤立の決意のコメントが載った。

13歳で父を亡くしてから8年。「なんでやらないかんのや」と父に反発していた柔道に目覚め、亡き父の背中を追ってきた。191センチ、165キロ。巨漢を揺らして首を振りながら畳に上がり、両手を大きく広げて相手に挑んでいくスタイルは父とそっくりだ。

父・仁さんの命日に「絶対に勝つから見といてほしい」

今年1月20日の仁さんの命日に、立は自身のInstagramに仁さんの左腕に抱きかかえられる自身の幼少期の写真を掲載し、こう書き込んでいた。

今日で8年が経ちました。

最後の手を握った感触は今でも残ってる。

あの時言われへんことを必ず結果で体現する。

絶対に勝つから見といてほしいです。

いつもありがとう。

https://www.instagram.com/tatsuru.0308/

斉藤の早期内定に反対7票

この投稿を覚えていただけに、斉藤立がパリ五輪代表に内定したときは彼の喜びを想像し、感情移入した。男子100キロ超級は斉藤とライバルの影浦心(27)=日本中央競馬会=との力の差は小差で、今年12月の「グランドスラム東京」の結果次第でパリ五輪代表を決めては?という意見もあった。

正直、斉藤立にも影浦心にも現時点での柔道にはムラがあり、五輪で勝ち切るような決め手に欠ける。思わぬ相手に不覚を取る危うさも感じる。斉藤をパリ五輪代表とするかの強化委員会は多数決に持ち込まれ、賛成16、反対7。満場一致の選考とはならなかった。それでも日本男子の鈴木監督は「五輪までの期間を十分に活用して、金メダリストになるように仕上げたい」。男子の最重量級は2008年北京大会の石井慧を最後に金メダルから遠ざかる。

1988年ソウル五輪の斉藤仁さんの「男泣き」を私は鮮明に覚えている。

表彰台のてっぺんで日の丸が掲揚されるなか、顔をくしゃくしゃにして泣いていた。

1988年10月1日のソウル五輪柔道最終日、そこまで他の階級の日本勢が次々と敗退する「総崩れ」のなか男子95キロ超級の斉藤仁さんは勝った。本当は気が弱く、人が良すぎる性格が顔に出る。それが畳の上では心を鬼にする。右ひざのじん帯を痛めて競技続行は不可能と見られた中、復活して勝った。そんな斉藤仁さんの記憶に重ねて、斉藤立を見守るファンも多い。私もその一人だ。

母は元・エールフランスCA

もう一つ、私が斉藤立に感情移入してしまうエッセンスがある。パリ五輪という舞台が織りなすストーリー性だ。母、三恵子さんは大阪府出身。関西外国語大学を卒業して13年間、航空会社・エールフランスのキャビンアテンダント(CA)として働いていたときはパリに住んでいた。

美恵子さんが仁さんと出会ったのは28歳。当時、仁さんは現役を引退し、柔道日本代表のコーチだった。三恵子さんが搭乗した便に、海外遠征中の仁さんが偶然2回も乗り合わせたのが、2人が付き合うきっかけとなったという。その後、4年の交際を経て、1997年に結婚。仁さんの死後は女手一つで長男の一郎さん、立を育てた。

産経新聞の連載「柔の道、寄り添う」で美恵子さんは語っている。

パリは私にとって、なじみ深い場所です。1991年の春から育児休暇も含めて13年間、エールフランスの客室乗務員として働いていました。最初はフランス語がしゃべれず、苦労も多かったです。

(中略)

フランスは立も何度も訪れているので、慣れている場所だと思います。

五輪の開会式はセーヌ川で行われるんですね。パリの中でも象徴的な場所です。私も住んでいた当時は川沿いを歩いて帰ることもありました。そうした場所で開会式を実現するフランスの美的感覚やスケール感にはかなわないなあと思わされます。どんな演出が施されるかはまだ分からないけれど、楽しみですね。その場所に立がいることがかなえば、本当にうれしいことです。

産経新聞の連載「柔の道、寄り添う

斉藤立(さいとう・たつる) 2002年3月8日生まれ。大阪府出身。父、斉藤仁氏(故人)は1984年ロサンゼルス、1988年ソウル大会の柔道男子95kg超級で五輪2連覇。全日本柔道男子代表監督を務めた父と3学年上の兄の影響で、小学1年生の時から柔道をはじめる。 階級は男子100kg超級、得意技は体落とし。191センチ、160キロ。

斉藤仁(さいとう・ひとし)1961年1月2日、青森市生まれ。国士舘高-国士舘大。1984年ロサンゼルス、1988年ソウルの両五輪で95キロ超級を連覇。83年世界選手権無差別級優勝、86年アジア大会95キロ超級優勝、88年全日本選手権優勝。引退後は全柔連の強化委員長、国士舘大教授を歴任。2015年1月20日、肝内胆管がんで死去。

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