バレーボール女子日本代表でパリ五輪に主将として出場した古賀紗理那(28)=NECレッドロケッツ=が2024年8月16日、都内で引退会見を開き、「パリ五輪の8月3日の試合を持ちまして9年間のプロバレーボール選手としてのキャリアを終える決断をいたしました。パリ五輪はメダルには手が届かなかったことは悔しかったですが、チームとしては私を含めてよくここまで頑張ったと言える大会だった」などとすがすがしい表情で語った。
プロ9年、日本代表「正直きつかった」
今後については「全く未定」としながら、「少しでも私にできることがあれば、これまでお世話になったバレーボールに還元したい」と話した。記者会見は古賀の夫で、バレーボール男子日本代表の西田有志(24)も後ろの席から見守った。
古賀は熊本信愛女学院高校2年の16歳の時に日本代表に初選出。その日本代表人生を振り返り、「正直きつかった」と総括した。「海外を転々とするし、日本を背負ってプレーするのは大変なことだった」
19歳だった2015年のワールドカップ(W杯)でブレイクしたが、その年のリオデジャネイロ五輪世界最終予選では精彩を欠き、直前でリオ五輪メンバーから外れる屈辱も味わった。初の五輪で1次リーグ敗退に終わった東京五輪は「初戦でけがをしてしまって、ずっとそこにかけてきた分、気持ちも落ちてしまっていた」「本当は東京五輪が修了した時点で、私の気持ちも修了していた。このメンタルでは日本代表にいけないな」と思ったこともあった。
しかし「日本代表で戦う自分にとって、やり残したことがある。このままやめたら後悔するなと感じたので、この悔しさをはらせるように、パリ五輪に出場しようという強い気持ちでここまで来た。ここまで走り切ると決めて、パリまでずっと先頭に立って、全力で走り続けようと思ってやってきました」と話した。(下に記事が続きます)
パリ五輪までの3年「すごく成長した」
「ずっと日本代表に呼んでいただいて、その間、くやしい思いも、惨めな思いもした。それでも人としての成長も出来た9年間だった」「特に東京五輪からパリ五輪までやると決めた3年間は、すごく成長したんじゃないかな、と思います。3年後にこうなるためには、と頭の中で計算して、所属チームにも相談して、自分が強くなるために逆算して打ち込めた。自分の感覚でもその成長を実感できたし、自分自身の成長を楽しめた」「後悔なく(現役生活を)終えることができた」と晴れ晴れしていた。
夫の西田有志の存在について聞かれた古賀は「私は思ったことをすぐに言っちゃう性格なので悔しかったことも、楽しかったこともすべて言っていた。(聞く方は)大変だったと思いますが、苦しい時にずっと味方でいてくれた。これからは、私が夫のお世話を頑張りたいと思います」と笑顔で話した。
ペンスポニュースレター(無料)に登録ください
スポーツ特化型メディア“Pen&Sports”[ペンスポ]ではニュースレター(メルマガ)を発行しています。「へぇ」が詰まった独自ニュースとスポーツの風を届けます。下記のフォームにメールアドレスを記入して、ぜひ登録ください。
\ 感想をお寄せください /