イタリア・セリエAへ2023-24シーズン、挑戦したバレーボール女子日本代表の石川真佑(23)。通訳サポートとして間近に見てきた筆者によるイタリア挑戦記の第2回目。「やるしかない」。そんな思いで2023年10月にフィレンツェ入りした石川は、プレーやコミュニケーションの小さな壁を乗り越えた後、試合では順調に2ケタ得点を記録してゆく。イタリア生活も2か月が経ち、家にこもりがちだったオフの日も外食や買い物で少しずつ出かけるようになる。
ハイブリッドサーブ、現地バレーコラムニストが絶賛
石川は身長174㎝と小柄ながらも、多彩な攻撃とサーブ、安定した守備が持ち味だ。とりわけ所属したイル・ビゾンテ・フィレンツェのパリージ監督も信頼を寄せるサーブといえば、思い出すのは10月8日、初戦後のインタビュー。試合直後、まだ興奮も冷めやらぬ石川を呼び寄せたのは、イタリアのバレーボールメディア Volleynews.it.のコラムニストであり、バレーボールコーチ最上級資格も持つステファノ・サッシ氏だった。その第一声は意外にも、イタリアの印象でも試合の感想でもなかった。
「キミは素晴らしいハイブリッドサーブを打つけど、どうしてやろうと思ったの?習得は難しかったんじゃない?」
ハイブリッドサーブとは、ボールが無回転で予測不可能な動きをするフローターサーブと、スパイクのようにドライブ回転で威力のあるジャンプサーブの二刀流のこと。女子ではまだハイブリッドサーブを使う人は少ないため、インパクトも大きかったようだ。石川はシーズンのサービスエースランキングではベスト20にも入らなかったが、直接得点にならなくても相手のサーブレシーブを乱して攻撃を限定させる効果は絶大だったと、シーズン最終戦後にサッシ氏は重ねて評価した。
8戦目から落ち着き、毎試合2ケタ得点
小さな壁にぶつかっていた石川も監督との対話で落ち着いたのか、ブロックなどの課題はありつつも第8戦目からはコンスタントに2ケタ得点を重ねてゆく。
4強の一角を成すノヴァーラとの対戦(11月25日、第9戦)では、2セット目に25点制になってから女子セリエA歴代3位の44‐42の死闘を演じた。敗れはしたものの、パリージ監督がシーズンのベストゲームに選んだ試合でもあった。12月に入って初のホームゲームは格上キエリ戦で、石川自身は「満足できない」と語ったが、フルセットの末に勝利をつかみホームアリーナは興奮の渦に包まれた。(下に記事が続きます)
オフの日に行くのは、近所のスーパーだけ
2か月目からはイタリア語レッスンでもバレーボール用語をいったん終了し、自己紹介から数字や曜日、乗り物や食べ物など生活に密着したものへ移行。そして毎回「オフの日には何をしましたか」という質問をして、そこから単語やフレーズをふくらませていった。しかし、石川の答えはいつも「家にいた」か「スーパーに買い物に行った」の2つだけ。「また⁉」とツッコミを入れる筆者に、石川は「へへへ」と苦笑いしていた。試合翌日なので体を休めること、そして炊事洗濯などの家事であっという間に1日が終ってしまうと言う。
特に料理に関しては日本から来伊した栄養士にもアドバイスを受け、一緒に市場に行って使える食材を探したり、つくりおきに精を出したり。アスリートとして食生活にも気を配っていた。
週1回「OKO」の弁当「めちゃくちゃ大きな存在」
しかし時にはだれかに作ってもらいたい、できればイタリア料理でなく日本の実家にいるような料理を味わいたい。そんな時に石川を支えてくれた場所がある。
2022年にフィレンツェの下町地区にオープンし、在住邦人はもちろん、真の日本の家庭料理を求めるイタリア人にも人気の お弁当屋さん”OKO Giappo Mama’s Kitchen” だ。旧市街の外にあって練習からそのまま車で行けることもあり、午前中早めに終わるウェイトトレーニングの後は毎週のようにここに通っていた。
「OKOは私にとってめちゃくちゃ大きな存在で、本当にありがたかったです」。2024年明けからは水曜に試合があって練習スケジュールが変わったり、取材が増えたりでなかなか行けなかったが、シーズン終了間際の2024年3月19日、一緒に行った時に石川はしみじみそう言った。最後に頼んだのは、米麹(こうじ)から仕込み、自家製の塩麴とみそをふんだんに使った発酵弁当。鮭のみそ漬けや塩麴入りの卵焼き、自家製玉ねぎ麹ドレッシング付きのサラダ…おいしそうに頬張る石川を、お母さんのような気持ちで接していたオーナーの2人は温かく見守る。
会計を済まそうとしたとき名残惜しくなったのか、石川はいちご大福と抹茶パウンドケーキも持ち帰りに追加した。石川がなかなかOKOに行けなかった時、喜ぶ顔が見たくて筆者もよくサプライズで差し入れをした大好物だ。「最後だからオマケね」とどら焼きを渡されると、目を少し潤ませる石川。バレーボールを知らなかったOKOの2人も、すっかり石川のファンになっていた。(下に記事が続きます)
TV局リクエスト「ジェラートの注文」撮影にドキドキ
オフの日に出かけないもう1つの理由は、何よりも出不精な石川の性格だったようだ。日本のマネジャーと同居していた時も、あまりにも家にいるので「出かけない?」とマネジャーが誘ったほどで、世界中から観光客が訪れるフィレンツェについても何も知らなかったと言う。
12月、ホームで対戦するキエリの日本人コーチと一緒に翌日のオフにフィレンツェ観光しない?と筆者が誘ってみると、「はい、行きたいです」との返事が。「自分から出かけることは少ないが誘われたら行く」と本人が言っていた通りだった。
まずはランチで、名物のフィレンツェ風Tボーンステーキを食べにレストランへ。その後は日本のテレビ局の取材と悪天候で観光はできなかったものの、直前のイタリア語レッスンで教えた注文シーンを見に、ジェラート屋での撮影を見学させてもらった。撮影中は遠くて会話は聞こえなかったので後で聞いてみたところ、「全部は思い出せなかったので、指差してQuesto(これ)、で乗り切りました」とほっと肩をなでおろし、ジェラートに舌つづみを打った。
身長190cmの同僚に、サテン生地のパジャマを贈らねば
クリスマスが近づいてきたある日、「パジャマってどこで買えますか?」と石川が尋ねてきた。チームメートとのクリスマス会で、プレゼント交換があると言う。少し前にキャプテンのジュリアから「クリスマス会で誰にプレゼントを贈るかのクジを引くんだけど、当日までサプライズなので誰に贈るかは秘密、ってマユに伝えてね」と言われていた、そのプレゼントだ。
石川がプレゼントを贈る相手はキューバ人のセセで、公開していた各人の欲しいものリストにパジャマと書いていた。190㎝と長身で細いうえにとにかく脚が長いため、サイズ選びも難しそう。さらに「サテン生地」という詳細まで記載があった。その時はスマホでパジャマが買えるお店をいくつか紹介するにとどまったが、石川の不安そうな顔が気になる。当初よりは随分と心を開いてくれているように感じていたが、彼女の性格からして遠慮しているのではないかと「一緒に買いに行こうか?」とメッセージしてみると、「ほんとですか!」とキラキラ目玉の絵文字付きで返事がかえって来た。
午前がオフの日に待ち合わせて店を周るが、サテン生地ではなかったり、好き嫌いがありそうな柄物だったり、サイズがなかったり。4〜5軒ハシゴした後、やっと落ち着いたライトグレーのサテン生地のパジャマを見つけ、無事にミッションを達成。せっかくだからランチも一緒に、まだ食べたことがないと言うフィレンツェのソウルフード・ランプレドット(牛の第四胃袋)のパニーノを食べに中央市場へ向かった。町はクリスマスムード一色、イタリアで初めてのクリスマスはどう過ごすのか聞いてみたところ、「両親が初めてイタリアに来るんです」と弾けるような笑顔で石川が答えた。
石川 真佑(いしかわ・まゆ)2000年5月14日、愛知県岡崎市生まれ。ポジションはアウトサイドヒッター。中学校からバレーボールの名門校へ進み、下北沢成徳高等学校では1年生からレギュラー入りし、全国大会と国体で2冠を達成。卒業後はVリーグの東レアローズに入団し、同年より日本代表としてU20の世界選手権とアジア選手権で優勝とMVP受賞、東京五輪にも出場。2023-24シーズンはプロ選手としてイタリア・セリエAのイル・ビゾンテ・フィレンツェに加入。今季は総得点でチーム2位の351得点を挙げる活躍だった。身長174㎝と小柄ながらも、多彩な攻撃とサーブ、安定した守備が持ち味。
イル・ビゾンテ・フィレンツェ[IL Bisonte Firenze] イタリア女子バレーボールチーム。1975年にVolleyball Arci San Cascianoとしてチームを創設し、2004年に革製品メーカー Il Bisonte がメーンスポンサーとなる。2014年にセリエAに昇格、2022年にフィレンツェに本拠地を移す。2023-24シーズンの今季はセリエAの14チーム中10位(11勝15敗)でレギュラーシーズンを終えた。
ペンスポニュースレター(無料)に登録ください
スポーツ特化型メディア“Pen&Sports”[ペンスポ]ではニュースレター(メルマガ)を発行しています。「へぇ」が詰まった独自ニュースとスポーツの風を届けます。下記のフォームにメールアドレスを記入して、ぜひ登録ください。
\ 感想をお寄せください /
コメント一覧 (2件)
Ancora i miei complimento per il bel articolo!
Deve essere stato difficile per Mayu-san adattarsi alla nuova vita, meno male che ci sei stata tu.
Penso che poter contare su qualcuno che conosce bene Firenze e la vita in Italia le sia stato di grande aiuto.
Ti ringrazio della tua considerazione per lei !
Come dici te, oltre la traduzione della lingua italiana e’ stato molto importante il supporto per tutte le cose per cui lei e’ potuta – spero – essere tranquilla.