ちょうど96年前のきょう、1927年(昭和2年)8月13日は日本で初めてのスポーツ中継が行なわれた日です。現在、阪神甲子園球場で熱戦が繰り広げられている全国高校野球選手権にあたる「第13回 全国中等学校野球大会」がその舞台でした。このAMラジオによる野球中継が日本のスポーツ中継の夜明けでした。
国内初スポーツ実況に入局2年目のアナ抜擢
NHKアーカイブズ(NHK放送史)などによると、この画期的な甲子園球場からの中継を担当したのは入局2年目の魚谷忠アナウンサーでした。魚谷氏は大阪出身で第2回全国中等学校優勝野球大会(1916年)に市岡中学の三塁手として出場し、準優勝。関西学院高商部でも野球に打ち込んでいた経験から、野球のルールを熟知していることに加え、その体力も買われて国内初の野球実況アナウンサーに抜擢されました。
開幕日の第1試合は札幌第一(北海道)と青森師範(青森)の試合。放送開始の第1声は「JOBKこちら大阪中央放送局、甲子園臨時出張所であります」だったそうです。
全21試合を1人で実況
魚谷アナウンサーは「ピッチャー投げました、打ちました、打ちました」などと試合の経過を場内の雑観を交えて話し続け、決勝までの全21試合をたった一人で実況したといいます。当時は昭和2年で、全ての放送が逓信当局の検閲を受けていた時代。台本などの事前検閲が不可能な野球中継では、魚谷アナウンサーの横には逓信当局の監督官が座り、不容易、不適切な発言があった場合には直ちに放送を止めるという条件で、野球実況は放送を許されたといいます。
「野球をわざわざ観に来る人が減る」
その当時、大会主催者の朝日新聞社や甲子園球場の所有者である阪神電鉄は「放送されると、わざわざ球場に野球を観に来る人が減る」として、野球中継に難色を示したという記述が散見されますが、いざ中継が始まると、さらに観客は増え、全国高校野球選手権は国民的人気コンテンツになったのはご存じのとおりです。
現在の全国高校野球選手権は地方大会から全試合の中継をスマホのアプリで視聴できる時代。しかも詳細な選手データ、複数アングルのカメラ、見逃し配信なども楽しめます。ここまで進化した野球中継は96年前の甲子園がスタートだったと思うと、歴史の重み、ここまで中継技術を進化させてきた先人たちの積み重ねに敬意を抱きます。
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