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コラムニスト・中西 美雁

バレーボールが好きだから、私はバレーボール記者になった

中西美雁

「なぜバレー記者になったんですか」。結構しょっちゅう聞かれるんですよね。初対面の人から、すでに20年以上私がバレー記者をしてることを知ってるはずの関係者に至るまで。そして、割と最近までずっと「バレーが好きだったからですよ」とシンプルに答えていたのですが、どうもそれだとなかなか納得してもらえない。「バレー部だったんですか?」「違います。コーラス部と文芸部でした」「……」みたいな。

数年前にイタリアとドイツに取材に行って、現在日本代表主将の石川祐希選手と当時中大のスタッフだった方と雑談してるときにこの話題になり、ちょっとくどいまでに丁寧に説明してみることにしてみました。

母がバレーボール選手。ピアノのためにプレー経験はなし

「私の母が高校時代までバレー部で、ママさんバレーをしていて、ちっちゃい頃からママさんバレーに連れてかれて、球拾いとかしてたんですね。で、小学校4年位のときにスポーツ少年団に入れる年齢になって、当然バレー部に入ろうとしたんですけど、ピアノの先生に猛反対されたんですよ。バレーは突き指するからだめだって。ピアノは3歳のときからずっと習っていて、一応声楽とか楽典とかも習って音大も…とか考えたりもしていたので、それでバレー部は諦めたんです。中学・高校時代も同じです。だけど、家族でテレビを見る時には、バレーの試合があったら必ずそれをみんなで見ていたし、ずっとバレーが好きだったので。大学院生を途中でやめて、何ならなれるかな?と考えた時に資料を読んで締切までに文章を書くというのはライターではないかということで、ライターになりました。最初は音楽ライターとかパソコンライターだったんですけど、やはりバレーが好きだったので、自分がバレーが強く、人気が出るためにできることをしたいと思ううちに、バレー記者になりました」。

石川選手もスタッフさんも非常に納得してくれたので、それ以降は、「なぜバレー記者に?」と聞かれたら、面倒がらずにこれでいこうと決めました。帰国してからお会いした筑波大学の秋山央監督にも話のついでに説明したら、「そーうだったんですね!」とにこにこしてたので(まあ、あの人はいつもにこにこしている人ではありますが)、そうか、最初からこうやって説明してればよかったのかーと。

サッカーや野球記者に「なぜ」と訊く?

Pen&Sportsの創刊パーティーでも「バレー記者です」と自己紹介させていただいたら、やはり聞かれましたね。「バレーやってたんですか?」って。なので面倒がらずにちゃんと説明しました。みなさん「なるほど」と納得していただけました。

ここからは余談です。だけど、ちょっと思うんですよね。サッカーとか野球とかの記者さんに、そんなことまで求めて訊くかな?って。私は以前、バスケットボールの記事も書いてたんですけど、「バスケ記者」と名乗らなかったせいなのか、「なぜバスケ記事を書いているのか」と聞かれたことは一回もありませんでした。そっちはなぜなのかと言えば、そのころ私は自分でプレー写真も撮りながら記事も書くというスタイルだったので、経費節減したい向きには便利だったわけです。少なくとも交通費は一人分で済みますしね。

サッカーや野球のライターに「サッカー部だったんですか?」「甲子園に行きましたか?」とかいちいち聞くかなあ…。今度知り合いのサッカーライターにどうなのか聞いてみるかな?

なぜにひっかかるかというと、バレー関係者ってファンだった人をものすごく軽蔑する文化(とは呼びたくないが)があると思うんですよね。関係者のみならず、読者の間でも。

TV局で「取材が苦ではない」と言うと、いじられた

バレー記者になるかならないかのペーペーの頃、私はとあるメジャーテレビ局のお仕事をいただきました。私をそこに紹介してくださった方はそうではなかったのですが、それ以外のスタッフは、バレーのことをかなり馬鹿にしてたんですね。「ダサい」みたいな感じで。今はスタッフもすっかり変わって、バレーにリスペクトのある方も増えましたが、当時はそうでした。そしてある時、スポーツ局のスタッフたちと私がいるところに著名な女性スポーツライターが来られて、話に加わりました。私たちは日本で開催される国際大会のために仕事をしていたのですが、全国で行われる試合の取材に行く(当たり前ですが)ということについて、「面倒くさいよね」みたいな話になり。その著名な女性スポーツライターが私に「あなただってこんなのやってられないでしょ?」と話を振りました。

しかし、空気の読めない(もしくは読みたくなかった)私は「いえ、私はライターになる前からバレーが好きなので、全国に試合を観戦取材するのは全然苦痛ではないですね」と答えたところ、「キャハハ、やっだー聞いてよみんな! この子ったらバレーが好きだから見るのは苦痛じゃないんだって!」「よくやるよねー」「ばっかみたい」みたいな雰囲気になり…つまりは、私は今で言うところの「いじられた」わけです。

「物好きですね」と言った相手が、往年の人気者取材に大騒ぎ

でもでも、でもですよ。後年、この著名女性スポーツライターはバレーの単行本を上梓されたのです。それだけでではなく、その「まえがき」だか「あとがき」だかには「私はずっとバレーが好きで、嶋岡健治さんを追っかけて中央大学進学を決めた」(記憶に頼っているので一言一句は正確ではありません)旨が記されていたのです。

じゃあ、なんであの時彼女はあんなことを言ったんだろう。まるで自分はバレーなんて仕事でしかたなく見てやってるみたいな言い方をしていた。嶋岡さん(前のバレーボール協会とVリーグ機構の会長さんですね)を追っかけて進路まで決めたというのに…。さすがの私も進学先はそんなことでは決めなかったぞ…。

時は前後して、私は「バレーボールマガジン」を経て「Vマガジン」というバレー雑誌のライターになりました。外部ライターのはずなのに編集作業もやらされたりしてましたけど、まあそれは置いておいて。その時の編集さんもやはり、「バレーがもともと好きなので」というと、馬鹿にするような感じだったんですね。「へー、私は仕事だからしょうがないけど…」「美雁さんて物好きですね」的な。だけど、「バレーボールマガジン」に今もある「カーテンコール」という引退した選手のインタビューの連載を私が始めて、80年代めちゃくちゃ人気だった杉本公雄さんを取材することが決まった時に、そのうちの一人が「晴れ着を着て取材に一緒に同行したい!」と騒ぎ始めました。ポカーンとしましたけど、つまりはその人は杉本さんの大ファンだったんですね。バリバリのバレーファンだったわけです。編集長が止めたので、幸いにも晴れ着を来たその編集さんを連れて行くことにはなりませんでしたが、次に起こったのはもう少し面倒なことでした。

「がん治る水」宣伝求めるOB、ノーを言わない編集者


やはり「カーテンコール」であるOBを取り上げた時に、彼が誌上で宣伝してほしいと言ってきた「がんが治る水を作る機械」というのを、筆者の私に相談もなしに、別の編集者がオッケーしてしまったのです。私は自分の署名記事で、そんないかがわしい機械を売りつけるようなマネは絶対にいやでしたし(署名記事じゃなくても嫌だな!)、そのことを知って、OBにお断りしてくださいとお願いしたのですが、彼女は「だって、もう私がいいって言っちゃったもん!〇〇さんに今からだめだなんて言えない!」と駄々をこね、大論争になりました。そう…彼女もそのOBの大ファンだったのです。残りの一人も似たようなもので、みんな元ファンだったんですね。隠してただけで。

「ファン上がりのライター」。好きじゃないとやれない過酷な仕事

私はその頃も今も、ライターになる前からバレーが好きだったことを隠したことはないので、今でも読者の中には私のことを「ファン上がりのライター」として一段低く見ている方がいます。だけど、前述の著名女性スポーツライターもそうですけど、バレーに関わってるライターって、特にフリーはほぼほぼ元ファンですよ。ていうか、相当好きじゃなきゃやってられない過酷な環境ですしね。でも、読者も選手も関係者も、「ただ好きだから」では許してくれない雰囲気がある。バレーボール学会もそうでした。本当は、私の母がバレー部じゃなくても、スポーツ少年団でバレー部に入ろうとしたことがなくても、あとからバレーが好きになって記者になっても全然おかしくないと思うんですけどね。

とりあえず私は、生まれ変わってまたあのメジャーテレビ局のスタッフと著名女性スポーツライターにいじられても、やっぱり「いえ、私はもともとバレーが好きですから」と言うでしょう。だってそれが本当のことなんだから。それが、「私がバレー記者になったわけ」なんだから。

すっかり余談のほうが長くなりましたが、今夜はこれにて。

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