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【サッカー】ジェフ千葉がJ1復帰。史上最長17年目、トンネル抜けた

ジェフユナイテッド千葉/JEF United Chiba team group, DECEMBER 13, 2025 - Football / Soccer : 2025 the J1 Promotion Play-Offs Final match between JEF United Chiba and Tokushima Vortis at Fukuda Denshi Arena, Chiba, Japan. (Photo by Naoki Nishimura/AFLO SPORT) クレジット表記 写真:西村尚己/アフロスポーツ 日付 2025年12月13日
2025JリーグJ1昇格プレーオフ決勝で徳島ヴォルティスに1-0で勝ち、J1復帰を決めたジェフ千葉=2025年12月13日、フクダ電子アリーナ(写真:西村尚己/アフロスポーツ)
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ジェフユナイテッド千葉が2025年12月13日、来季のJ1昇格を決めた。17年ぶりのJ1復帰は史上最長の記録となった。いつ出口が見えるともしれない長い長いトンネルを遂に抜け、復活の狼煙(のろし)を上げた名門の凋落と奮闘に迫る。

目次

プレーオフ6度目の正直

2025年のJ2は最終節まで優勝の可能性を残しながらも3位でリーグを終え、プレーオフ(PO)に回ることになった。過去には5回昇格プレーオフを戦いながらことごとく敗れてきた。

12月7日のPO準決勝ではホームのフクダ電子アリーナでRB大宮アルディージャを相手に3点ビハインドとなり「やはり今季もダメか……」という重苦しい雰囲気が漂うなか、71分から怒涛の4ゴールで大逆転劇(4-3)を演じた。すると再びホームで開催された12月13日のPO決勝には17,634人の観衆が詰めかけ、徳島ヴォルティスを1-0で下した。

1992年にJリーグが発足した際のオリジナル10(発足時の加盟クラブ)は、横浜フリューゲルスが吸収合併されて横浜F・マリノスになったが、現存9クラブが21年ぶりにJ1で一堂に会することになる。

ジェフユナイテッド千葉は、プロ化前の日本サッカーリーグ(JSL)の名門である実業団の古河電工を母体とし、JR東日本も参画しJリーグ加盟が認められた。

古河電気工業サッカー部は、Jリーグ初代チェアマンの川淵三郎、日本がプロ化前にドイツ・ブンデスリーガでプレーした奥寺康彦、第14代日本サッカー協会(JFA)前会長の田嶋幸三、ワールドカップ2大会で日本代表を指揮した岡田武史など、日本サッカー史に名を残す錚々たる面々がプレーした歴史がある。

しかしJリーグ開幕後、時折タイトル争いを演じるものの順位が振るわないシーズンが続いた。(下に記事が続きます)

知将オシムの日本上陸

そんななか1990年イタリア・ワールドカップでユーゴスラビア代表をベスト8に導いた知将イビチャ・オシムを監督に招へいすると、後に日本代表のシンデレラボーイとなるFW巻誠一郎を育て上げるなどして旋風を巻き起こした。

一つ間違えれば単なる根性論に陥ってしまう「走るサッカー」を最高水準の理論とインテリジェンス(知性)で駆動し、一世を風靡した。サラエヴォ大学で学び、数学、物理学、哲学の心得があり、戦火をくぐり抜けてきた体験も相まり、ウィット(機知)あふれる深みのあるオシム語録はサッカーの枠を越えて、日本の社会全体に知れ渡った。

惜しむ声があるなかでオシム監督が2006年に日本代表に引き抜かれると、ジェフユナイテッドのリーグ順位は下降線をたどり再び下位に沈むシーズンが続いた。オシム氏は2022年5月に亡くなった。(下に記事が続きます)

本拠地移転と転落

順位だけでなく、集客や業績面でもジェフユナイテッドは苦戦していた。そして、Jリーグ発足前に一度は断られた千葉市にクラブの軸足を移すことになったのである。

2005年以降のクラブ呼称は「ジェフユナイテッド市原・千葉」で「ジェフユナイテッド千葉」と略されることが多いが、Jリーグ開幕当時の名称は「ジェフユナイテッド市原」だった。地域密着を掲げるJリーグにあって、ホームタウンの移転は軽率にできるものではない。市原市民の反対の声を押し切っての移転だった。

市原市は現在もクラブのホームタウンとなってはいるものの、ジェフユナイテッドのサポーターをやめる市原市民もいた。しかし、千葉市は県庁所在地であり、人口は100万人に迫り市原市の約4倍だ。背に腹は代えられずに、クラブが生き残ることを優先させて、より大きな市場に鞍替えしたということだ。

一時は勢いを取り戻したものの、2009年にJ1で18位となりクラブ史上初のJ2降格が決定した。(下に記事が続きます)

マンネリ化と閉塞感

J2降格当時は、ジェフユナイテッドが16シーズンというこれほどまでに長い時間を下部リーグで過ごすことは誰も想像だにしなかった。

ジェフユナイテッドは元々、日本を代表するような大企業が母体となってできたクラブであり、地方の市民クラブがひしめくJ2にあって、予算と戦力はトップクラスだった。

しかし、いくら大きな予算があって優れた選手がいても、必ずしも結果が約束されるわけではないのがサッカーの難しいところであり醍醐味でもある。

ジェフユナイテッドは個人の能力は高いが、なかなかチームとして一丸となりプレーすることができなかった。本来は2部でプレーするような選手ではなくても、何年もJ2とお付き合いをしている間に、段々と2部が板についてきてしまう。慣れとは恐ろしいものだ。そして非常にまずいマンネリ化が進行していったのである。

6度目のプレーオフ参戦でようやく勝ち取った昇格だが、本来であれば他を圧倒して優勝し昇格を決めるシーズンがあってもおかしくないほどに、潤沢な資金とクラブの基盤が整っていた。(下に記事が続きます)

「古豪」から「強豪」へ

ジェフユナイテッドが不在だった間に16年の歳月が経過し、J1は様変わりしている。オリジナル10の他に、ヴィッセル神戸やFC町田ゼルビアといったIT企業をバックにつけた新興勢力が台頭。右肩上がりに成長するファジアーノ岡山は、地方にサッカーが力強く根付いていることを印象づける。

2014年にはJ3が開幕し、J2は層がどんどん厚くなっている。一度降格したら、昇格するのが至難の業であることは、ジェフユナイテッドが一番、身を持って痛感しているだろう。

過去の記録を振り返ると、J1昇格クラブが即J2に降格するケースが少なくない。ジェフユナイテッドはJ1を生き抜いていくのに十分なクラブの体力を有している。しかし、それだけでは十分ではないことも、ジェフユナイテッドが奇しくも証明している。

近い将来、ジェフユナイテッドがJ1に定着し、再びタイトル争いをする日はやってくるだろうか。

それは、今後のジェフユナイテッドの舵取りにかかっている。小林慶行監督(47)が就任して3年目で昇格となったが、今後どの様な体制で新シーズンに臨み、どんな選手と契約し、どの様なチーム作りを行っていくか注目だ。

ジェフユナイテッドが「古豪」ではなく「強豪」と呼ばれるようになれば、それは再び栄光を取り戻した証だろう。

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