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【ハンドボール】U21代表 川田陽暉、北マケドニア移籍 | 世代ナンバーワンCBの19歳、退路断ち挑戦

川田陽暉の獲得を発表したRKヴァルダル(RK Vardar1961)のホームページより
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近い将来、ハンドボール男子日本代表の中心を担うであろう期待の19歳が「覚悟」の海外挑戦に打って出る。21歳以下(U21)アジアジュニア選手権(ヨルダン)で昨年、日本に金メダルをもたらし、大会MVPにも輝いた攻撃の司令塔。2025年6月のIHF世界ジュニア選手権(ポーランド)でも16強入りに貢献した筑波大2年のCB川田陽暉(かわだ・はるき)だ。

北マケドニアの名門プロハンドボールチームで、2017年のEHFチャンピオンズリーグ優勝の実績を誇るRKヴァルダル(RK Vardar1961)から獲得オファーが届き、2025年7月9日、チームから川田の加入が正式に発表された。

契約は2年だが、川田は筑波大を「休学」ではなく「退学」することを選択。「セカンドキャリアのために大学に戻れる道を残すことも考えましたが、『保険』をかけるのはいやでした。自分を奮い立たせる意味でも、次はないんだ、という環境で挑戦したかった」。9月のシーズン開幕に向けて、7月22日、プロ選手としてかの地、北マケドニアの首都スコピエへと向かう。

目次

パリ五輪出場の安平光佑、昨年まで在籍

川田が加入する「RKヴァルダル」というチーム名を聞いてピンと来たハンドボールファンは多いだろう。

パリ五輪に出場した日本代表のエース、安平光佑(25)=クウェート・ブルガンSC=が2024年7月まで在籍していたクラブだ。しかも、安平は川田と同じポジションのセンタープレーヤー。川田はいう。「安平さんがいなかったら、自分はヴァルダルにきっと行けていない。安平さんが北マケドニアの国内リーグや五輪で活躍したことで、日本人センターが通用することを知らしめて、日本人の価値を上げてくれた。ただただ、感謝し、尊敬しています」

川田のRKヴァルダル加入のきっかけはスカウトだった。2024年7月のU21アジアジュニア選手権で残した強烈なインパクトが、ひとりの欧州のフリー・スカウトの目を引いた。相手GKが一歩も動けない閃光のようなシュートを打ち込む得点力。味方を生かすアシストのバリエーション。文句なしの大会MVPに輝いたこともあって、川田にはヴァルダルの他にも、ポーランドのクラブなど複数のオファーが舞い込んだ。しかも、このスカウトは数年前に安平に最初に声をかけ、世界に羽ばたくきっかけを作ったのと同じ人物でもあった。才能を見抜く目は確かだ。

RKヴァルダルとの契約交渉の合間、川田は安平に直接話を聞く機会があった。「チームの内情、生活環境、街の治安…、ぼくからいろいろ質問したのですが、とても真摯に教えてもらいました」。日体大を中退してポーランドや北マケドニアのチームに単身、飛び込んで力をつけた先駆者の安平は、川田のロールモデル的存在だろう。川田がヴァルダル加入を決めた後押しにもなった。身長172センチの安平に対し、川田は176センチ。体格もほぼ変わらない。「安平さんに続いて、2人目の日本人としてぼくは行く。自分もヨーロッパで揉まれて国際的に通用するプレーヤーにならないと」。川田にはそんな思いが湧き上がる。(下に記事が続きます)

持ち味はGKから見えないステップシュート

ただ、川田には川田の持ち味がある。爆発的なスピードで相手DFとの1対1を打開するのが安平なら、川田の武器はステップシュートだ。ステップシュートとは、ジャンプをせずに、助走の一連の動きから足を床に付けた状態で、小さいモーションからタイミングを図って相手の隙を突くシュートのことだ。

「ヨーロッパの身長2メートル超えの選手たちがディフェンスに立ちはだかると、176センチの小さい自分は相手ゴールキーパー(GK)から見えない。隠れたところから放つ強いシュートはGKからしたら脅威ですよね」と川田はいう。小さいことは不利なようで、有利になることもあるというのだ。

「しかも、たとえディフェンスがそのステップシュートを止めに来ても、ディフェンスの間を割ったり、PV(ピヴォット)に落としたりするのもぼくは得意なので」。アジアを驚かせたステップシュートを軸に、今度はさらに体格で勝るヨーロッパ勢を翻弄するイメージはできている。

U21世界ジュニア選手権でシュートを放つ川田、提供:IHF
U21世界ジュニア選手権でシュートを放つ川田=2024年7月、提供:IHF

7月22日の出発を前に、こみ上げる思いがある。それはこれまで練習試合も含めて自分が出場する小、中、高、大学のほぼすべての試合に応援に駆けつけ、ハンドボールを続けるサポートを全力でしてくれた両親、そして指導者、関係者への感謝だ。シーズン中にも関わらず、自分の意志を尊重して快く送り出してくれた筑波大のチームメートの期待も背負う。「こうやって、一世一代の挑戦をさせてもらえることにものすごくありがたみを感じます。成功するだけじゃなく、偉業を成し遂げるには必ず、リスクはつきもの。でも、どんな相手でもスポーツはしょせん、同じ人間同士の戦いなので」と腹をくくる。「これまでどおり、自分はできる、勝てると信じて、結果で恩返ししたいと思っています」

川田は2028年ロサンゼルス五輪、2032年ブリスベン五輪を目指す男子日本代表(彗星JAPAN)の中心世代だが、まずは目の前の「欧州挑戦」に集中する。RKヴァルダルではチーム最年少となるが、「いま体が最も動く、若い時期にヨーロッパで揉まれて、生活をかけてプレーして、ヨーロッパハンドボールの激しさを全力で感じたい」(下に記事が続きます)

中高生のロールモデルに

小学生のころの川田陽暉。とにかくボールと戯れるのが好きだった。(本人提供)
小学生のころの川田陽暉。とにかくボールと戯れるのが好きだった。(本人提供)

RKヴァルダルは中学のころからYoutube動画で観ていた憧れのクラブだった。「今度はヨーロッパで自分が活躍して、世界を目指す日本の中高生のロールモデルになれたら」。19歳が無限の可能性を切り拓く。

川田 陽暉(かわだ・はるき) 2005年8月3日、茨城県生まれ。小1の時、地元の少年団、豊里HCの監督との出会いをきっかけにハンドボールを始める。茨城・手代木中を経て高校からは親元を離れ、長崎・瓊浦高へ。高3のインターハイで準優勝、大会得点王に輝く。2024年度から筑波大。1年生の関東学生春季リーグから試合に出場し、司令塔としてチームの攻撃面を牽引。2024年度のインカレでは3位入賞に貢献した。21歳以下(U21)日本代表では第18回男子ジュニアアジア選手権優勝(大会MVP)、第25回IHF男子ジュニア(U21)ハンドボール世界選手権では約40年ぶりとなるメインラウンド進出、ベスト16に貢献した。ポジションはCB。176センチ、73キロ。好きな言葉は大リーグ・ドジャース大谷翔平の座右の銘でもある「先入観は可能を不可能にする」。

RKヴァルダル(RK Vardar1961) 北マケドニアの首都スコピエを本拠地とするプロハンドボールチーム。北マケドニア国内リーグで最多となる15度の優勝(2024ー25シーズンは2位)を誇る。EHFチャンピオンズリーグでは、2度(2016-2017、2018-19)ヨーロッパの頂点に立ったバルカン半島屈指の名門クラブ。モンテネグロ代表で202センチのLBヴーコ・ボロザン(31)らが主力を張り、パリ五輪にも出場したアルゼンチン代表CBのニコラス・ボノ(27)も今季から加入する。

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コメント一覧 (2件)

  • 私の息子と陽暉との出会いは、11年前になるかと思います。
    私の息子が小学校4年生の終わりに、同級生の保護者から「ハンドボールやってみない?」とお誘いを受け、体験会に行った先が豊里HCでした。そこに同い年の割に体が小さい、けどボールを上手く操り、ゴールにバンバンシュートを打ち込んでる子が陽暉でした。
    チームメイト、監督にも恵まれ、そのまま息子もハンドを続けて行くことになりました。その頃から陽暉はエースの気迫というか、俺がやらなきゃ…的なものを感じていました。運動神経は抜群でしたが、それだけじゃないものがあったと思います。
    高校受験になった時、川田母ととある高校のオープンスクールで出会い、長崎の瓊浦高校の話を聞くことになりました。豊里HCの監督からの後押しもあり、一緒に行くことになりました。
    うちのコは平凡で、大したスキルがあるわけでもなかったけれど、上手い、強い、いろいろな部員に揉まれ、インハイで準優勝という貴重な経験をさせてもらいました。
    ハンドボール以外では何も出来ないと噂されていた陽暉ですが、高校3年間を長崎で過ごして来たことは、本人にとってもいい経験だったと思います。同部屋だった息子は多くは語りませんが、退寮の掃除をしに行った時に部屋を見て…陽暉、大学はちゃんとしなよ…と心のなかで思いました笑

    中学から選抜選手だったり、高校、大学時代にはJAPANで活躍。本当にスゴイ選手と一緒にプレイ出来た息子はラッキーだと思います。
    これからも応援して行きたいと思っています。

    長い文面、ほとんど思い出話ですみません。
    身近にいた存在が、どんどん遠くに行ってしまうのは淋しいですが、ケガなく大好きなハンドボールを続けていってくれることを願っています。
    素敵な記事でした。
    ありがとうございました。
    また取材してくださいm(_ _)m

    文章下手ですみません。

    • 齊藤佳津子さま
      記事へのコメントをいただきありがとうございました。息子さんが陽暉さんと小学生から一緒にプレーし、瓊浦高でもともに高校総体準優勝を経験、しかも同部屋!なんて素晴らしいエピソードなんでしょう。教えていただきありがとうございました。気になって瓊浦の総体準優勝のことをリサーチしていたら、陽暉さんのお父様が作られたYoutube動画に行きつきました。きっと苗字から推察するに、ダニーさんのお母様ですね。左利きでサイドから切れ込んですごいシュートを打っていたダニーさん。瓊浦は層が厚くて、準優勝にふさわしいチームだったのだと改めて感じました。会場の函館アリーナ、私は函館出身なので思い入れたっぷりです。ダニーさんと陽暉さんはきっと生涯の友ですね。引き続きPen&Sports[ペンスポ]をよろしくお願いいたします。この度はありがとうございました。Pen&Sports編集長 原田亜紀夫

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