J1ジュビロ磐田のGK川島永嗣(41)と23年前にイタリア・パルマで出会い、通訳を務めた筆者がインタビューする後編は、海外挑戦や日本代表、ワールドカップ、語学、そしてセカンドキャリアについて、サッカー選手として集大成の時期に差し掛かっているエイジ=川島の思いを紹介する。(取材・文=佐藤貴洋。2001年夏、川島永嗣パルマ短期留学時の通訳を担当)
ヒデさん、パルマでずっと叫んでいた
川島 ベルギーは日本で当たり前だったことが当たり前じゃなくなりましたよね。例えば、守備が緩くてもGKがセーブするのが当たり前で、防げなかったらGKのせいになるし、サッカーも前に行かないとベルギーではサポーターからブーイングが飛んでくる。やはり個の能力が高かったですよ。
サッカーはとにかく時間がないですから、言葉に関しても通訳を介している時間はないんです。例えば15分間のハーフタイムで、監督からの指示を理解して、GKとしての意見をチームメートに伝えます。試合中に「右」とか「左」の言葉を、その国の言葉で何だっけと一瞬考えている間に、相手選手と1対1の場面に陥ることもあります。
もう、言葉を選んでいる時点で終わりです。GKからの指示を間違えてしまうと、しわ寄せはすべてGKである自分に来てしまいます。だから、ちゃんと自分が話せないとダメなんです。
今の話で思い出しましたけど、18歳のパルマ短期留学の時、トップチームが横で練習していて、ヒデ(中田英寿)さんはずっと叫んでいたことを思い出しました。パルマ移籍直後の練習で、(イタリア語で)ずっと叫んで、ユースの練習場にも聞こえてくるぐらいの声でずっと叫んでいました。本当にすごいことですよね。(下に記事が続きます)
スコットランド、フランスにも
ダンディー・ユナイテッドでプレーしたスコットランドはフィジカルが強かったです。セルティックとか上位のチームはしっかりとパスをつなぐけど、下位のチームは蹴るタイプが多い。語学的には、スコットランドの英語はなまりが強い印象でしたね。
フランスは慣れるまで大変でした。FCメス、RCストラスブールでプレーしました。元々フランス人にはプライドが高くて高飛車なイメージがありました。「ノー」もハッキリと言いますし。ただ、フランスと言う国は言葉や文化に慣れてきてフランス語をしっかりと話せるようになると仲間意識が芽生えてきます。友だちにもはっきりとイエス・ノーを言う文化ですが、「はっきりと言うことが、相手のためだ」との文化だと理解してからは、フランスでの居心地もよくなってきましたね。
ほぼ独学で7カ国語操る
-今では日本語に加えて英語、フランス語、スペイン語、イタリア語、ポルトガル語、オランダ語の7カ国語を操り、グローバルアスリートの象徴にもなっている。近年は海外挑戦する日本人選手が増えてきた。
川島 今は時代が変わりました。海外から見る日本選手に対する目が違います。かつては基本的に結果で証明しないと認められなかった。向こうに行って、実際にプレーでよいパフォーマンスをしないと認めてくれなかったのです。でも今は、「日本にもよい選手がそろっている」という前提で見てくれるから、そもそもの「入口」が違いますよね。
ぼくの場合はベルギーで5年プレーして、フランスに行った時も、実際に直接見てもらうまでは「ああ、これぐらい出来るんだ」と認めてもらえませんでした。
プレミアリーグ(イングランド)、ブンデスリーガ(ドイツ)、セリエA(イタリア)、ラ・リーガ(スペイン)、リーグ・アン(フランス)の5大リーグに行きたいと思っていても、それまでチャンスがなかったですね。どんなに頑張ってもチャンスはなかなか来ない中で、たまたま浮上した話がフランス1部のメスへの移籍でした。
そこに入るチャンスとしか思っていなくて、レギュラーとしての獲得ではないこと自体、僕も分かっていましたし、周囲から何を言われても別に関係ないとの気持ちでした。だからこそレギュラーの座を勝ち取らないと道がないと思っていました。
海外でプレーすると言うことは、日本人もサッカー王国のブラジル人も同じ感覚で活躍しなければならないのです。「自分も外国人として活躍しなければいけない」との気持ちを持って海外に行かないと意味がない。今はこれだけ日本人が海外で活躍していますし、ビッグクラブでプレーする選手も「普通のこと」になってきています。(下に記事が続きます)
ワールドカップ・日本代表、特別な場所
-2022年W杯カタール大会終了後に、日本代表のユニフォームを脱ぐ決断をした。
川島 何歳になっても日本代表はやはり特別な存在で、特別な場所であることは今も変わらないです。本当に多くの犠牲を払うに値する場所だと思いますし、それだけの重みがあります。
(ジュビロ磐田でコーチの)能活さんとは毎日、一緒にやらせてもらってますし、ナラさんと一緒にやっていた時のことを肌感覚で考えていて、いつになればあの感覚に少しでも近づけるのかと考えています。課題をクリアできたという感覚はないですね。
印象に残ったワールドカップは選べないですよ、一つ一つが味わえない思いですし、そもそもワールドカップ自体が特別な大会ですし、選べないですね。
ーそして2024シーズン前にジュビロ磐田加入を発表。14年ぶりの舞台となるJリーグへの思いは。
川島 Jリーグですが、サッカーは整理されていますよ。戦術も、選手の技術的なところもそうです。正直、思っているほど海外との差はないですね。海外との差があるだろうと思って帰ってきましたが、そこまで違和感もありません。もちろん、もっとよく出来る部分はありますが、その違和感をいまは感じていません。
逆にJリーグのように各チームの力が拮抗していて、技術的にも優れているリーグはほかにないと思えます。もちろん、もっとよく出来る部分もありますが、Jリーグも他のリーグと比べられないよいものがあると思います。毎日楽しいですよ。
ジュビロ磐田でも、新しいチームに入れば競争があるのは当たり前です。そこを勝ち取らないと意味がないと思っています。そういうことを求めて、この環境に来ています。(下に記事が続きます)
ミスを恐れず話そう
-アスリートとしての語学の重要性を誰よりも理解し、グローバルアスリートプロジェクトも立ち上げている。現役後のビジョンなどは決めているのですか。
※GLOBAL ATHLETE PROJECT(グローバルアスリートプロジェクト)=川島らが2011年、世界に挑戦する日本人アスリートを語学面から応援しようと2011年、一般社団法人を設立。現在ではスポーツを通じた子ども達の教育事業などを行っている。
川島 語学に関してはミスを恐れずに話すことが大事です。「言ったら違うかも」「間違えたらどうしよう」とか思わないでほしい。逆に間違ったらそこで覚えますし、とにかく話すことですね。そういう壁と言うか、大人になってからだと、話してミスしたらどうしよう、間違えたらどうしようとの感覚がより強くなってしまいます。そうなる前に、子どもの時から「間違えても大丈夫な環境を整える」ことが大事で、その環境を作りたいとの思いがそもそもグローバルアスリートプロジェクトの始まりです。
いつまでも子どものような感覚で、「間違えてもよいから話してみる」となって欲しいですね。複数言語を話せることは世界では珍しくありません。例えばフランスだと、その国の母国語であるフランス語、そして英語などもう1カ国の言語を話すことが当たり前ですし、周りがそういう感覚でいるからそういう壁をなくして、言葉を話すということに対する壁を取っ払って、今の子ども達にはどんどん成長して、世界で日本人を発信してほしいと思っています。
外国の選手も、所属している国の言葉を完璧に話せるわけではないですし、そう考えると「通じない」とか考えること自体が意味がなく、本質は「理解し合うこと」でそれが最も大事です。18歳のとき、イタリア留学から帰ってきて、イタリア語、英語、フランス語、スペイン語の本を買ってきて、独学で勉強していました。その後、渡ったベルギーのチームでは多国籍の選手がいて、国としても英語、フランス語、オランダ語だったりが日常的に飛び交う環境で、その環境にいられたことが自分には大きかったです。
現役引退後のビジョンですか? どうでしょうかね…。まぁ、いつかやっぱり終わりは来るのは間違いないですが、そこに関して明確に決めていることはないですし、その後のことも明確に決めていることはありません。とにかく今はジュビロ磐田で、今のチームメートと自分たちの目標に向かっていることが楽しい。どれだけチームメートとサポーターと喜びを分かち合えるかを考えています。(下に記事が続きます)
GK、人としても成長できるポジション
-エイジにとってGKの魅力は。
川島 こんなに楽しいポジションはないですよ。ちょうど兄がサッカー少年団に入ることになり、それでぼくも入りたいとなったのがサッカーを始めたきっかけです。友だち同士でサッカーをやる時にもGKは順番で回ってくるじゃないですか。そこでシュートを止めるのが好きだったんですよね。友だちのシュートを止めるのがとにかく楽しくて。シュートを止められた友だちが驚いた顔をしているのを見るのもうれしかったですよ。海外では、GKは人気のポジション。みんな、子どものころGKをやりたがるんです。
シュートを止めるってすごいことですよ。それは他のポジションでは絶対に出来ないですし、そこに感動があるし、後ろから見る分、いろんなものを俯瞰して見ることができるのは、サッカーだけではなく、人としても成長できるポジションだと思っています。
取材後記
エイジが高卒間もない夏、礼儀正しいあいさつと力強い握手を交わした18歳が、「ここパルマで何かをつかめなかったらプロでの成功はない」と退路を断つ覚悟で短期留学に挑んでいたことを、23年越しに知った。当時、私は28歳。練習への取り組み方、食生活、そして言動、向上心は、およそ私の知る18歳像とはかけ離れていた。
エイジと出会ったことで初めて「尊敬の対象に年齢は一切関係ないんだな」と痛感させられた。パルマ短期留学の目標の一つに、ユース世代以下の若手による「ヴィニョーラ・トーナメント」出場があった。ダイヤの原石発掘の場でもあるその大会で、川島は最優秀GKに選出された。神がかったPKセーブの連発や、正確無比なロングスロー、パントキックなどでチームを優勝に導いたエイジ。GK大国イタリアの現地記者から「すばらしいGKだ。彼をMVPに選びたいけど、外国の選手だしな…」と困惑気味に明かされたことを今でも覚えている。
試合後、エイジから「これ、もらってくださいよ!」と着用していたGKグローブを受け取った。代わりに私からは、イタリア語の参考書を渡した。通訳としての仕事は練習初日から大会終了までの約3週間だった。残り1 週間、通訳の私が外れた川島は、そのイタリア語の参考書に全力で向き合い、イタリアの環境に溶け込んだ。それがエイジの海外挑戦、日本代表、4度経験したワールドカップの原点だった。その場に通訳として立ち会えたことが誇らしい。
川島永嗣(かわしま・えいじ)1983(昭和53)年3月20日、埼玉県与野市(現さいたま市中央区)出身。与野八幡サッカースポーツ少年団、 与野西中、浦和東高を卒業後、J2大宮アルディージャでプロのキャリアをスタート。名古屋グランパスエイト、 川崎フロンターレ、リールセSK(ベルギー)、スタンダール・リエージュ(ベルギー)、ダンディー・ユナイテッド(スコットランド)、FCメス(フランス)、RCストラスブール(フランス)を経て 2024年シーズン前にJ1ジ ュビロ磐田に入団。日本語に加えて英語、フランス語、スペイン語、イタリア語、ポルトガル語、オランダ語の 7カ国語を操るグローバルアスリート。2010W杯南ア(16強)、2014ブラジル(GL敗退)、2018ロシア(16強) まで正GKとしてフル出場、2022カタール(16強)大会後に日本代表を引退。代表キャップ95。家族は妻と1男2女。185センチ、82キロ。
川島選手のサイン入りTシャツをプレゼント
インタビューのあと、川島選手は「いいですよ」と、Pen&Sports特製Tシャツ2枚(Lサイズ)にサインしてくれました。記事の感想を寄せてくださった読者2名様にプレゼントします。応募するには「感想をシェア」「ニュースレターに登録」の2つともしていただくのが条件です。締切は2024年8月15日。
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