【愛知・名古屋2026アジア大会】選手村の建設中止。何のための大会招致か

開幕した2026アジア競技大会=2026年9月18日、JR名古屋駅で
開幕した2026アジア競技大会=2026年9月18日、JR名古屋駅でⒸPen&Sports
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愛知・名古屋アジア競技大会(アジア大会、2026年)の計画が迷走しています。選手村建設を「取りやめ」、競泳・馬術は愛知開催を「断念」しました。何が起きているのか。国際総合スポーツ競技大会を招致する意義は。スポーツジャーナリスト・原田亜紀夫(元・朝日新聞東京本社スポーツ部デスク)が解説します。

目次

【選手村の役割】1964年、東京五輪。選手村にディスコ

1964年の東京五輪の選手村(東京都渋谷区代々木)には各国の選手たちがくつろぎ、自由に交流できるようにと、ディスコ(ダンスホール)が設けられていたのをご存じでしょうか。国と国、競技と競技の枠を超えて選手たちが一つの曲で踊り、ふれあい、交流できるスペース。当時の五輪を運営した選手村の担当者はオープンマインドで、非常に粋な「おもてなし」をしたものだと感じます。

2021年、東京五輪。選手村のダイニング「黙食」

2021年の東京五輪・パラリンピックは、コロナ禍で1年の延期を経てもなお、パンデミックは収束せず、緊急事態宣言中の開催となりました。私は大会組織委員会の職員(大井ホッケー競技場VGM:ベニューゼネラルマネジャー)でした。

開幕直前に東京都内を含めた関東の大半の会場が無観客に。時差調整や気候順応のために海外選手の事前合宿を受け入れるはずだった100以上の自治体が合宿そのものを中止にしたり、受け入れても住民との交流を取りやめたりしました。選手村でも、選手たちは「交流」どころか「接触」もNGだったため、交流拠点となるはずのメインダイニングホールでは、アクリル板で仕切られた席で単独での「黙食」を強いられ、30分程度で退席するように求められました。残念ながら選手村に「ディスコ」なんて発想はありませんでした。

1964年の東京五輪当時、慶大在学中で大会通訳を務めた慶大名誉教授の島田晴雄さん(80)のインタビューがとても面白いので紹介します。島田さんは代々木の選手村に設けられたディスコをめぐる、思い出のエピソードを披露しています。

笹川スポーツ財団
トップ通訳として見た「東京オリンピック」 島田 晴雄 - Voice of Legends インタビュー 笹川スポーツ財団の「トップ通訳として見た「東京オリンピック」 島田 晴雄」について掲載しています。

1964年東京五輪に出場したアスリートのなかで最も注目された人気選手、女子体操個人総合金メダルのベラ・チャスラフスカさん(旧チェコスロバキア。故人)も、選手村に寝泊まりしていました。チャスラフスカさんは「体操の名花」と評され、この東京とメキシコ(1968年)の2大会で、計7個の金メダルを獲得しました。

島田さんは彼女とどうしても話がしたくて、選手村を訪ねたといいます。

笹川スポーツ財団のインタビュー「トップ通訳としてみた東京オリンピック」には以下のようなくだりがあります。(以下抜粋)

― チャスラフスカ選手には会えたのですか?

島田 選手村に行った時に探したら、トレーニングパンツ姿の彼女を見つけることができたんです。当時、選手村にはディスコのような、ちょっとしたダンススペースが設けられていましたので、チャスラフスカに思い切って勉強したドイツ語で必死になって話しかけました。「一緒に踊ってくれませんか」と。そしたら「いいわよ」と言ってくれて、少しだけ一緒に踊ってもらいました。それで最後に握手してくれたのですが、体操選手なのでゴツゴツしていると思ったら、意外に柔らかくて驚きました。

ー その時の感触は未だに残っているんでしょうか(笑)?

はい、はっきりと残っています。当時、しばらくは手を洗いませんでしたからね(笑)。現役引退後はチェコスロバキア大統領補佐官兼顧問(現:チェコ共和国)や国際オリンピック委員会の委員を務められましたが、当時はとにかく「可愛いお嬢さん」という感じでした。

笹川スポーツ財団のインタビュー「トップ通訳としてみた東京オリンピック」

島田さんにとっては一生の思い出になったに違いありません。すばらしい青春の一幕ですね。

【なぜ中止?】2026アジア競技大会で見送られた背景

その選手村の建設を、2026年愛知・名古屋アジア大会では中止するという報道(2023年5月)に触れて驚いています。

朝日新聞
選手村建設の取りやめを検討 2026年のアジア競技大会:朝日新聞  愛知県で2026年に開催予定の「アジア競技大会」をめぐり、県や名古屋市などでつくる大会組織委員会が、選手村の建設を取りやめる方向で主催者側と協議を進めていることが...

アジア大会とは

アジア・オリンピック評議会(OCA)が主催し、4年に一度開かれる総合スポーツ競技大会。アジア45の国と地域が参加する。第1回は第二次世界大戦後の1951年、インドのニューデリーで開催。「戦争によって引き裂かれたアジア諸国の絆をスポーツを通じて取り戻そう」という願いを込めて始まった。日本では1958年に東京、1994年に広島で開催され、第20回にあたる2026年の愛知・名古屋大会が日本で3回目に行われるアジア大会となる。

アジア大会は「無観客」だった東京五輪以来、5年ぶりの国際総合スポーツ競技大会になります。東京で果たせなかった「国際交流」「異文化交流」をぜひ愛知・名古屋で、と思っていたファンも多いのではないでしょうか。

ところが「原材料費の高騰などで整備費が大幅に増える見込み」という理由で、交流拠点となるはずの選手村(約1万人収容)建設が見送られるといいます。

選手の宿泊には県内のホテルで対応する方向で、すでに手配が進められているとか。アジア大会級の大規模な国際スポーツ大会で選手村を設けないのは前代未聞です。

さらに2023年6月、競泳・飛び込み、馬術の愛知開催を断念し、2021年東京五輪で使用した施設に移管するというニュースも飛び込んできました。競技に必要な施設に満たないとOCA(アジアオリンピック評議会)から、判断されたといいます。いったい何をやっているのでしょうか。国際スポーツ競技大会の運営能力に関して、日本の信用はがた落ちです。

「どえりゃあ楽しいアジア大会」のはずが

2026年アジア大会の愛知・名古屋招致が決まったのは、2016年9月25日のことでした。私自身も朝日新聞スポーツ部記者として取材・報道に関わりました。

招致決定後、河村たかし名古屋市長は「どえりゃあ楽しいアジア大会にしたい」と記者団に語った、と同日発行の朝日新聞PDF号外は伝えています。

愛知・名古屋アジア大会招致決定を伝える2016年9月25日の朝日新聞PDF号外

2026年、ホテルのシングルルーム。何のための大会招致か

国境や人種、性別、宗教、信条、競技の枠などを超えて選手同士や関係者、市民が交流し、フェアプレーを体現し、平和を分かち合う。それがオリンピックやアジア大会をはじめとした国際総合競技大会の本来の意義です。

オリンピック・パラリンピック期間中は休戦を呼びかける国際的活動「オリンピック休戦」も定着しています。スポーツには平和をつなぐ社会的意義があります。

行き違いもある日中、日韓、インド太平洋地域での関係を、スポーツが取り持つはずの2026年アジア大会。それなのに、ホテルのシングルルームに各国選手を押し込んでしまうとは。そもそも、選手村の建設計画など招致した際の「国際公約」を反故にすること自体、ありえないと思うのです。

愛知・名古屋アジア大会は地元の世界的企業、トヨタの支援が得られていないことも「大苦戦」の理由と聞きます。何のためのアジア競技大会招致だったのか、と首をかしげざるを得ません。大会準備に奔走する関係者のことを思うと、自身も五輪では当事者だっただけに胸が痛みます。

1964年、東京五輪。「レガシーはモノではなく、心」

冒頭で紹介した1964年東京五輪で通訳を務めた島田さんは「レガシーはものではなく心」と説きます。

オリンピック・パラリンピックなどのスポーツでは、本気になって努力することの素晴らしさと、フェアプレーの精神を学んでほしい。もうひとつは、異文化交流です。相当な数の外国人がどっと日本に押し寄せてくるはずですから、ぜひそういう人たちとの交流を楽しんでほしいなと思います。

笹川スポーツ財団のインタビュー「トップ通訳としてみた東京オリンピック」

先が見通せない、不安定な国際社会でスポーツにできることは何か。【ペンスポ】ではグローバルに活躍された島田さんの言葉を胸に刻み、ペンの力でスポーツの価値を伝えていきます。

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