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【車椅子ハンドボール】だれでもプレー。ヒザ故障の49歳、元・ビーチ日本代表も

車椅子ハンドボール
全日本車椅子ハンドボール競技大会でGKを務める松本賢=大阪府堺市の市立大浜体育館で、久保写す。以下すべて
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車椅子ハンドボールは、障害者も健常者も楽しめるスポーツ。下半身のケガで昔のように動けなくなった人でも、車椅子なら自由に走り回れます。かつてドイツでプレーした名選手・松本賢も、車椅子ハンドボールで現役選手に戻り、プレーする喜びを噛みしめていました。

目次

初代ミスタービーチハンド・松本賢(マッケン)

2022年、全日本ビーチハンドボール選手権で優勝。胴上げされる

2022年、全日本ビーチハンドボール選手権で優勝。胴上げされる「マッケン」こと松本賢は、日本のハンドボール界ではちょっと名の知れた存在です。マッケンは東京の明星高から拓殖大を経て、日本リーグの三景、HC東京でプレーしたバックプレーヤーです。上背はそんなにありませんが、キレのいいフェイントに定評がありました。30半ばからドイツに渡り、ドイツリーグ3部でプレーしました。またビーチハンドボールの日本代表としても活躍し、「初代ミスタービーチ」とも言える存在感を示しました。現在は仕事の傍ら、ビーチハンドボールの女子チームThetis東京の監督を務めています。初心者の指導に長けた監督で、戦術眼も国内屈指です。 

49歳、ヒザ故障から車椅子の門たたく

ビーチハンドでのプレー(左)倒れても、すぐに起き上がる

彼のすごさは経歴だけではありません。年齢を感じさせない若々しさが、マッケンをマッケンたらしめていると言っていいでしょう。49歳で引き締まった体つきをキープしています。顔も精かんで、考え方も柔軟です。「この人、ドイツで改造人間の手術を受けたのでは?」と思うくらい、20代の体力を保っています。スポーツマンらしいさわやかな顔立ち。スッキリとした腹回り。スタイリッシュです。

そんな「不老不死の象徴」のようなマッケンですが、長年酷使し続けたヒザが言うことを聞かなくなりました。病院を3軒回って「復活できる可能性はありませんか」と尋ねたものの、ドクターからは非情の宣告しか返ってきませんでした。「あなたのヒザは、もう運動できるレベルに戻りません」と。マッケンはひどく落ち込みました。

「僕はビーチハンドで監督をしているけど、できることなら生涯現役でいたいんですよ。ヒザを悪くして、もうプレーができないとあきらめかけていた時に、高校の後輩・諸岡晋之助のことを思い出したんです。晋之助は確か車椅子ハンドボールをやっていたよな。晋之助に頼んで、一度練習に参加させてもらおうって」。

高校の後輩プレーヤーが「僕の師匠」

諸岡(中央)は日本の車椅子ハンドボールを牽引する大エース

マッケンと諸岡はともに東京の明星高ハンドボール部OBですが、年齢は20も違います。大先輩とも言える年齢ですが、何のためらいもなく諸岡に教えを乞うあたりは、マッケンの柔軟な思考回路と向上心のなせる業でしょう。「今年の4月から車椅子ハンドの練習に行くようになって、はまりました。面白いんですよ。車椅子に乗れば、僕はまだ現役でいられる。プレーができるんです。晋之助は後輩だけど、車椅子ハンドの師匠ですね。頼りになります」。

日本の車椅子ハンドボールの顔とも言える諸岡も、マッケンの意欲を喜んでいました。「マッケンさんみたいな人が増えてくれると、僕もうれしいんですよ。車椅子ハンドに触れて、興味を持って、実際にプレーを楽しむ。僕がプレーすることで、そういう広がりが生まれてほしいんです」。年齢の上下は関係なく、自分の持っているものは惜しみなく伝え合う――スポーツ本来の姿がそこにはありました。

6人制車椅子ハンドのGKに。大活躍

本職はコートプレーヤーだが、車椅子ではGKに

7月に東京で開かれた大会のエキシビションマッチに、マッケンは出場しました。ポジションはなんとGK。しかも日本代表候補を相手にバシバシとシュートを止めまくったのです。

 「車椅子の操作がまだまだだから、GKをさせてくださいって言っています。対戦相手は車椅子バスケ出身の人が多いから、車椅子の操作は超一流だけど、ハンドボールのシュートはまだこれからなんでしょうね。シュートを打ちたい方向を目で見ているから、コースが読みやすかったですね。ビーチハンドでGKも少しやっていたから、その経験も生きています」。

練習3か月、本物のアスリートたちが刺激に

根っからの負けず嫌い。悔しさを次につなげていく

車椅子ハンドボールを始めて3カ月ほどとは思えないくらい、スムーズにプレーしていました。マッケンはさらに続けます。「今は選手に戻れて、本当にうれしいです。車椅子ハンドの存在を知って、観て、一緒にプレーすると、晋之助たちのすごさがよくわかります。健常者が障害者に太刀打ちできないんです。『障害者スポーツ=お涙ちょうだいの感動話』といった先入観をなくしていきたいし、みんなにも知ってもらいたい。彼らは本物のアスリートなんですよ」。

マッケンもアスリートだから、血が騒ぐようです。「僕も悔しいから、練習を頑張っています。負けず嫌いだから。でもいいですよね。ヒザの代わりに車椅子があるから、僕も選手に戻れます。選手に戻れば、日々のトレーニングも楽しい。試合に向けて逆算しながら、調整していく喜びも味わっています」。車椅子ハンドボールが楽しくなって、マイ車椅子を入手しようか検討しているとのこと。「F1じゃないですけど、みんなマシン(車椅子)にこだわっているんですよ。少しでも軽く、動かしやすくするために」。マッケンの表情もイキイキしていました。

全国大会でビッグセーブ、優勝に貢献

障害者のみでプレーする4人制では、コーチ役を買って出た(左)6人制ではゴールを守り続けた

大阪府堺市で開かれた2023年11月の全日本車椅子ハンドボール競技大会で、マッケンはKnockü SC(以下ノッキュー)の一員として出場しました。健常者が出場できる6人制ではGKを務め、優勝に貢献しました。「みんなソフティボール(6人制で使う柔らかいボール)に慣れているから、(4人制で使う)2号球よりもすごいシュートが飛んできました。それに戸惑ったけど、最後は当たってよかったです。6人制は球が速いから、点の取り合いじゃないですか。だからGKのビッグセーブが必要ですよね」。競技の特性をいち早くつかんで、アジャストするあたりはさすがです。

「現役選手で優勝。最高です。決勝戦の緊張感も久しぶりに味わえて、心地よかったです。マスターズで日本一になって、ビーチハンドでも日本一になって、今回車椅子ハンドで日本一になれて、本当によかったです。みんなメーンの競技があるのに、僕が『全国大会に出たい』と言っていたら、集まってくれたんです。『マッケンさんが熱いから、大阪は遠いですけど行きますよ』と言ってくれて。DFで頑張った阿部武蔵さんは、パラ柔術の世界大会で銀メダルをとったあとに、アブダビから大阪に駆けつけてくれたんですよ」。2日間の大会を通じて、より深い信頼関係が構築できたようです。

世界で戦う晋之助を見たい

日本椅子ハンドボール競技大会で2冠を達成、喜ぶKnockü SCのメンバー=大阪府堺市の市立大浜体育館で

マッケンは車椅子ハンドボールのこれからにも期待を寄せます。「日本代表が世界選手権に行く時に、ノッキューのメンバーが1人でも多く選ばれるといいですね。世界選手権は障害者だけの4人制しかないので、世界で戦う夢は晋之助たちに託します。世界選手権に出れば、車椅子ハンドが将来のパラリンピック競技になるかもしれないし、企業が車椅子ハンドの選手を雇用するようになるかもしれません。夢が広がりますね。僕もいい競技に出会えました」。

車椅子ハンドボールは、障害の有無に関係なく、みんなが楽しめるスポーツです。愛好家と車椅子アスリートのすみ分けは今後必要になるかもしれませんが、マッケンと諸岡たちのような交流が増えることを願ってやみません。

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