1965年から始まったプロ野球ドラフト会議(新人選手選択会議)の60年の歴史で「上智大学」の名前がコールされたのは今回が初めてのことだ。
2025年10月23日に東京都内であったプロ野球ドラフト会議 supported byリポビタンDで、上智大の正木悠馬投手(22)が埼玉西武ライオンズから育成枠6位で指名された。同日、上智大は公式ホームページで「本学学生がドラフト会議で指名を受けたのは、上智大学の歴史の中でも初めてのことです」と記し、翌24日午前には正木投手本人が同大の四谷キャンパスで緊急会見した。
スーツ姿で登壇した正木投手は「(上智からのNPB入りは)前例のないことで、素直にうれしい。その分、プロでの結果が大事になってくる」「入学当初は野球部に入るかどうかも決めていなくて、普通に就職して社会人になる人生を送るんだろうと思っていました。まさかこうなるとは」とはにかんだ。交渉権を獲得した埼玉西武ライオンズとは近く、契約を結ぶ意向だ。
米国育ちの帰国子女

22歳の正木は神奈川県で生まれた。水産関係の大手企業に勤務する父の仕事の関係で1歳から7歳まで米アラスカ州で育った。帰国後に東京・月島ライオンズで野球を始め、中1の1年間は練馬ボーイズに所属。14歳から再び渡米し、米ワシントン州レドモンド高校へ。米国の高校は部活動がシーズン制のため、野球に打ち込めるのは3月~6月の春季だけだ。しかも、高校では投手ではなく主に二塁手、遊撃手だった。秋にはクロスカントリー部で起伏のあるコースを走った。
「大学で野球を続けることも決めていなかったですし、野球をメインに考えて大学を選んだわけでもありませんでした。でも、いろいろなタイミングや縁が重なって」と正木。野球を続けることも、投手転向も、そしてよもや、NPBのプロ球団からドラフト指名がかかるまでに成長できたことも「入学当初はまったく想像していませんでした」と本人は驚きを隠さない。
創部110年目の野球部、東都3部リーグ所属

上智大の硬式野球部は、お世辞にも強豪とは言えない東都大学3部リーグに所属している。ただ、歴史は古く1916年(大正5年)に創部し、今年で創部110年目を迎えた。現在の部員は54人。強豪校で野球を経験して入学してきた「ガチ勢」もいれば、大学から野球を始めた「エンジョイ勢」もいる。
もともと俊足で遠投115mを投げる強肩だった野球経験者の正木が大学から投手に挑戦することになったのは、チーム事情もあっての自然な流れ。東都大学3部リーグでは1年春から登板した。
「1年生のとき、球速は最速140キロだったんですけど、2年生の時に145キロが出て。その時、二つ上の捕手の先輩が『もっと上のレベルでやっていける』と言ってくれたんです。その時は『さすがに(無理)』と思ったんですが、信じてくれる先輩がいたことが後押しになりました」
さらに、1学年先輩で上智大初のプロ志望届を出して、独立リーグの福島レッドホープスに入団したユエン凱投手(23)の存在も大きかった。先輩と切磋琢磨するなかで自身の可能性に気づかされ、「自分も頑張ればチャンスがあるんじゃないか」と思えた。大学2年から筋トレに本腰を入れた。体重が増えるにつれて、球速もアップ。4年生の春には最速153キロをマークした。(下に記事が続きます)
スポーツ推薦なし、指導者なし、グラウンド狭し
東京都千代田区紀尾井町にある上智大学の四谷キャンパスは皇居や迎賓館赤坂離宮にほど近い、都心のど真ん中にある。野球部は平日、四谷キャンパスに隣接する真田堀運動場を拠点に練習しているが、「堀」を埋め立てた低地にあるがゆえ、雨が降ると水はけが悪く、すぐに使用禁止になる。しかも野球部のグラウンドはほぼマウンドと内野しかないといっていいほど狭く、外野にはラグビーのゴールポストが立っている。
しかも、スポーツ推薦制度がない。投手コーチのような指導者もいない。そんな環境で、正木はなぜドラフト指名を受けるまでに成長できたのだろうか。
「アメリカで過ごした高校時代も強豪校ではなく、コーチもいなかった。だから、高校時代からずっと、自分で調べながら、考えながらやるというやり方には慣れていました」「参考にしているのはInstagramやYoutube。投球に関するものはほとんど全部、一通り見たと思います」。本格的にピッチングの指導を受けたことがなく、ここまでの成長過程はほぼ「独学」だというから驚きだ。
そして、正木は続けた。「上智だから成長できた部分もある。自分以外にもたくさん帰国子女がいたり、野球部の先輩にもアメリカ育ちがいた。強豪校で野球を経験してきた学生もいれば、大学から野球を始める学生もいる。野球を強制されてやるわけではなく、純粋に野球が好きで集まっている。そんないい雰囲気でやれたことも、自分に合っていたと思います」(下に記事が続きます)
パワーピッチャー目指す
正木悠馬が上智大卒初のプロ野球(NPB)選手としてデビューする日は来るのか。それにはいくつかのハードルがある。まずは、埼玉西武ライオンズとの交渉がまとまり、正式に入団する必要がある。そして、「育成選手」という立場上、当面はファーム(2軍・3軍)での出場機会でアピールし、1軍の公式戦で投げるには支配下登録(各球団最大70人)されることが必要となる。育成選手には契約金がなく、支度金に加え、最低年俸は230万円。支配下選手の最低年俸(440万円)よりも低い、タフな下積みが待ち受ける。
「指名されるとしたら育成かなとは思っていましたし、覚悟はできています。自分はぎりぎりの立場で、ここから這い上がっていくしかない。西武はパワーピッチャーが多いイメージで、自分もそんな投手像を目指しているので、学びたい。そして、いつかは勝つために『このピッチャーを使いたい』と思われる投手になりたいです」
正木 悠馬(まさき・ゆうま) 2002年11月19日、神奈川県生まれ。水産関係の大手企業に勤務する父の仕事の関係で1歳から7歳まで米アラスカ州で暮らす。帰国後、14歳から再び渡米し、米ワシントン州レドモンド高を経て、帰国生入試で上智大経営学部経営学科に入学した。東都大学3部リーグで1年春からリーグ戦に登板。投手コーチのいない環境で、専門的なピッチング指導を受けたことはなく、トレーニング法から投球フォーム、変化球の握りまでInstagramやYoutubeを見ながら独学で学んだ。球速は大学4年春にマークした最速153キロ。変化球はカーブ、フォーク、カットボール、スライダー、ナックルカーブなど。179センチ、83キロ。右投げ。好きな言葉は将棋界の名棋士・中原誠の名言「前進できぬ駒はない」
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