【ハンドボール】辻菜乃香(元イズミメイプルレッズ広島)、ヨーロッパ挑戦中

四天王寺高校(大阪)出身の辻菜乃香。高校時代に通った天王寺駅前にある「てんしば」で記念撮影=2026年7月、久保写す(以下すべて)
四天王寺高校(大阪)出身の辻菜乃香。高校時代に通った天王寺駅前にある「てんしば」で記念撮影=2026年7月、久保写す(以下、本人提供以外すべて)
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ハンドボールのリーグH女子・イズミメイプルレッズ広島で活躍した辻菜乃香(つじ・なのか)は、2025年9月からヨーロッパでプレーする道を模索している。地味だが戦術理解度の高い27歳の日本人センターが、デンマークや北マケドニアで何を感じたのか。きれいごとだけでは済まされない、海外での「リアルな話」を紹介していく。 

目次

玄人受けするセンター

イズミメイプルレッズに入団して1年目のプレーオフで、存在感を発揮した=2022年3月
イズミメイプルレッズに入団して1年目のプレーオフで、存在感を発揮した=2022年3月

辻菜乃香は大阪ジュニアクラブ~四天王寺高校(大阪)~武庫川女子大学で腕を磨き、リーグHのイズミメイプルレッズ広島で4年間プレーした。身長は162㎝と日本人でも小柄な部類になるが、強じんなフィジカルとハンドボールIQの高さで、玄人受けするセンターバックだった。

辻の賢さは細部に宿る。本職ではないライトバックに入った時は、半身の体勢を作りながら、右肘から先だけでパスを折り返す。右利きライトバックに必要な「DFを引きつける技」を、さりげなく繰り出す。ライン際に切ってダプルポストになったら、ゴールエリア内に片手を出して、ポストパスのターゲットを示す。本職のピヴォットではないのに、本職以上に気の利いた動きができる。原理原則を理解しているから、こういう選手がいてくれると、セットOFの点数がスムーズに伸びていく。それでいて、テクニシャン系にありがちな身体接触を嫌がるタイプではない。1対1でガツガツぶつかり、相手を退場に追い込む強さがある。

日本では派手な個人技を持つセンターが過剰にもてはやされる。辻のうまさは、むしろ本場のヨーロッパの方が評価されるのではないか。そう思っていたら、2025-26シーズンから辻は海外でプレーする道を選んだ。と言っても、最初からオファーがあった訳ではない。つてをたどってデンマークに行ったはいいが、2025年中に契約にはたどり着けなかった。年が明けた2026年にエージェントを紹介してもらい、ようやく北マケドニアで3カ月プレーすることができた。国も違えば言葉も違い、ハンドボール観もまったく違う。悔しさもいっぱい味わった。それでも2年目も海外に挑戦したいと、辻は動き続けている。

一時帰国中の辻に、高校時代を過ごした大阪・天王寺で話を聞く機会に恵まれた。(下に記事が続きます)

2025年9月にデンマークへ

帰るつもりのなかった一時帰国で、武庫川女子大の恩師・佐久川ひとみ監督に相談し、そこから道が開けた=2024年11月
帰るつもりのなかった一時帰国で、武庫川女子大の恩師・佐久川ひとみ監督に相談し、そこから道が開けた=2024年11月

「最初にデンマークに行った2025年9月は、現地でプレーしていた髙橋亮人さんに色々と教えてもらって、生活を始めました。そのあとにデンマーク人のホストファミリーにお世話になりました。そこから、元々行ってみたかったフォルケホイスコーレ(デンマーク発祥の教育機関。多種多様な人間を受け入れ、共同生活のなかで人生を学んでいく場所)に拠点を移しています。でも、その時はエージェントもいなくて。ホイスコーレに通いながらプレーできそうなチームもありましたが、『移籍金がかかるなら、君をチームに入れることはできない』と言われました。『チームから日本協会への移籍金を払ってまで、獲(と)る選手ではない』という扱いでした」

「デンマークで練習には参加させてもらえても、実際にプレーはできなくて、年末に一度帰国しました。そこで武庫川女子大学の佐久川ひとみ監督に相談したら、佐久川監督が筑波大学の山田永子監督(日本協会ハイパフォーマンスディレクター)に話をしてくださいました。私がデンマークに戻ったあと、山田監督から日本協会と提携しているエージェントを紹介してもらえました。そのエージェントを通じて、北マケドニアのWHCチェア・スコピエにつながりました」(下に記事が続きます)

原体験は中学時代のスウェーデン遠征

辻にしては珍しい、身体接触をしていないシュートシーン=2023年10月
辻にしては珍しい、身体接触をしていないシュートシーン=2023年10月

「最初はどうしてもデンマークかスウェーデンでやりたいと思っていました。中学時代に大阪ジュニアクラブで、スウェーデンのルンドカップに参加して『いつかまた、ここでプレーしたいな』と思ったのが、私の原点です。デンマークで練習参加させてもらった時も、デンマークはどこのチームもだいたい同じハンドボールをするし、意図がすごくわかりやすいと感じました。『ここがチャンスだ』とか『ここで1対1』とか、私の考えていることと一致していました。だけど、デンマークの選手はみんな背が高いから『私の身長(162㎝)だと、やっぱり必要とされていないのかな』と思ったりもしました。デンマークはどこのクラブでも、大きくて動ける選手ばかりだったので」

「デンマークではなかったら、私にも少しはチャンスがあるかもしれない。でも、どうやって行けばいいんやろ。その時はまだエージェントもいなかったし、私自身もセレクションで映えるタイプではないし、悩んでいました。私って目立たないじゃないですか。『こいつ、おったらいいな』と思ってもらうには、ある程度時間が必要です。とりあえずでも1年間契約してもらわないと、私の良さは出せない。短期で契約して、即結果を出すなんて難しいなとも思っていました。だから安平光佑(ブリガン/クウェートからオフリド/北マケドニアにレンタル移籍)が短期間で結果を残したのは、すごいと思いますね。プレーはシンプルだけど、個の強さが半端ないです」

大阪ジュニアクラブ・神並弘枝監督の証言 辻菜乃香はとにかく明るくて、物怖じしません。大阪ジュニアクラブがスウェーデンのルンドカップに参加した際にも、当時キャプテンだった辻が開会宣言をしました。3人の選手が、英語、スウェーデン語、日本語で同じ内容を読み上げるのですが、辻は『日本らしく』と、100均で買ってきたちょんまげのカツラを被り、法被を着て堂々と開会宣言をしました。プレーよりも、この時の姿が一番印象に残っています。どこへ行っても、自分で道を切り開いていける選手だと思います。助けていただいた方や陰で支えてくれている方、家族の協力にも感謝を忘れずに、これからもがんばってほしいですね。

ソウバク日本代表監督の助言

女子日本代表のモーテン・ソウバク監督は、デンマーク人らしい包容力で、選手個々のよさを引き出す=2025年6月
女子日本代表のモーテン・ソウバク監督は、デンマーク人らしい包容力で、選手個々のよさを引き出す=2025年6月

「デンマークでチームを探していた2025年10月に、女子日本代表の海外遠征に呼ばれました。『日本代表に、私みたいな人間を呼んでええんか? でも断るのも失礼やし、呼ばれるのは光栄なことだから』と参加しました。チームに所属してなくて、全然仕上がっていない私にも、モーテンさん(モーテン・ソウバク女子日本代表監督)はアドバイスをくれました。『狭い幅で2対2をしているから、もっと3枚目DFのアウトから攻めて、横に大きく動いた方が、ピヴォットも見えるし、自分でも突破に行ける』と教えてくれました。あの時は自分に自信がなくて、迷いながらプレーしていたから、声をかけてもらえたことがとてもうれしかったですね。『ちゃんと見てくれているんや』と感激しました。モーテンさんは上手に人を乗せるというか、やる気を出させるのが上手な人です。すごくポジティブな言葉を、当たり前のように発する。ほんまにデンマーク人らしい人やなと思いました」

「デンマークでホームステイしていた時のホストマザーも、優しくてポジティブでした。私がホイスコーレに行くか、ホームステイ先に残ってファーストディビジョン(デンマークのトップリーグの1つ下のカテゴリー)のチームで練習を継続するか迷っていたら、背中を押してくれました。『あなたはプロになるためにデンマークに来たのでしょ? 今よりもっといい環境があるなら、迷わずに飛び込めばいいじゃない。何を迷っているの?』と。ホストマザーは60歳ぐらいで、普段は寡黙な人ですが、陰ながら私のことを気にかけてくれていて、『あなたのデンマークでのお母さんになるから、何かあったら言ってね』とも言ってくれました。デンマーク人はいい人が多いですよ。心が広いし、知らない人にでも、道端ですれ違ったら、めっちゃ笑顔で挨拶してくれます。私がデンマークに初めて着いた日も、大きなキャリーケースを抱えて困っていた私に、電車に乗っていたデンマークの人たちが『大丈夫? 荷物を上にあげるのを手伝おうか』と声をかけてくれました」 (下に記事が続きます)

北マケドニアで3カ月プレー

2026年に北マケドニアのWHCチェア・スコピエに入り、ようやくプレーする機会に恵まれた=本人提供
2026年に北マケドニアのWHCチェア・スコピエに入り、ようやくプレーする機会に恵まれた=本人提供

「まずは海外での実績を作るために、年が明けてからはエージェントと話をして、北マケドニアでプレーすることにしました。北マケドニアでやっていた時は、コーチは私のパスを評価してくれていましたが、コーチのハンドボール観が独特で……。たとえばピヴォットが3枚目DFにアウトブロックをかけていて、センターの私がライトバックにパスを出したあと、ライン際の空いているスペースに走ろうとしたら、コーチは『このスペースはピヴォットのスペースだ。ライトバックからピヴォットにパスを落とせば完結するから、動かなくていい』と言われました。でもライトバックからピヴォットまで距離があるし、ピヴォットもパスをもらう気もなさそうだし、私が短い距離でワンツーパスをもらった方がスムーズなはずなのに、『なぜ、そういう動きをする?』と言われました」

「『そういう考え方もあるね』と理解してくれたらいいけど、『それはやらなくていい』と言われたので、こっちからすると『そういう選択肢はないんや』と思いました。ちょっとよくわからないというか、フリーなようで妙な決め事があったり、逆に決め事が必要なところがフリーだったり。『えっ、そこに判断はないの?』『何を求めているの?』みたいなところはありました」 (下に記事が続きます)

理不尽にも折れない

接触に負けない強さが、辻の真骨頂。海外で理不尽な目にあっても、1対1の強さではね返していく=2024年9月
接触に負けない強さが、辻の真骨頂。海外で理不尽な目にあっても、1対1の強さではね返していく=2024年9月

「北マケドニアでは、理不尽なことがいろいろありました。チームに合流してすぐの頃、私はまだ正式に契約していなかったから、チームのグループチャットに入っていなくて、キャプテンからの連絡だけを頼りに行動していました。ある日、キャプテンから『今日はミーティングをする予定だったけど、人数が集まらなかったからなくなった』と言われました。その次の日、私は練習だけかなと思っていたら、監督から『今、ミーティングだけど、どこにいるんだ?』と連絡が来ました。『いや、まだ道中だけど。ミーティングが今日だとは聞いていない』と返信したら『キャプテンはあなたに伝えたと言っている』と言われました。そんなの、言われていないから知らないし、もし言われていたら、私は絶対忘れることはない。でも、まだ合流して一週間も経っていない私には信用がないから、キャプテンの言い分を聞くのが当たり前やなと思って、体育館まで行くと、ミーティングはすでに終わっていました」

「私も別に悪いことはしていないから、謝りませんでした。向こうからも特には言われませんでした。『これからも、こういう理不尽なことは起こりうるやろうな』と思いながら、そのあとは絶対に遅刻しないようにしました。本当にキャプテンが言っていたら『私、言ったよね』と言ってくると思います。でも、それもなかったから『絶対言ってないやろ』と思っていました。心が折れそうなことはありましたが、そこは図太くやらないと。言葉も達者ではない私はなめられるだろうし、そこで折れたら、もっとなめられますから」

マケドニア語覚える

イズミメイプルレッズ広島時代の盟友・石川莉子(写真右)と。レフトウイングの石川は、角度のないところからでも高確率で決めてくれる=2024年8月
イズミメイプルレッズ広島時代の盟友・石川莉子(写真右)と。レフトウイングの石川は、角度のないところからでも高確率で決めてくれる=2024年8月

「北マケドニアの公用語はマケドニア語で、英語が通じない選手もたくさんいました。そんななかでも私はセンターをやらないといけないから、マケドニア語の簡単な言葉を覚えることからスタートしました。ピヴォットはピケ。左がレボで、右がデスノ。あとはコーチに「フォーメーションを全部教えてほしい」と言って、紙に書いてもらいました。がんばって覚えたのですけど、そのフォーメーションをマケドニア人が間違えるんですよね。たとえば退場者が出た時に、GKをベンチに下げて6人で攻撃するケースがあります。そういう時はフィニッシュをベンチから遠い側にして、ベンチに近い側のウイングが早めに戻って、GKと交代するのが鉄則です。なのに、ベンチに近い側のマケドニア人が『逆だろ』と言ってきます。私も『いや、違う』と、試合中に何度も言い合っていました」

「そのレフトウイングは、練習の時も『(セットOFで、あなたが)何をしたいかわからない』みたいなことをよく言ってきました。それなのに、ゼロパス(角度のないところからウイングに打たせるパス)を出しても飛び込みません。明らかに角度がないと飛び込んでくれない。『石川莉子(イズミメイプルレッズ広島のレフトウイング)だったら、今のは絶対飛び込んでる』と、いつも思っていました。多少角度がなくてもウイングが飛び込むから、バックプレーヤーのスペースが広がって、もっと楽に攻められるのに」

「ライトウイングの右利きの選手は、いつもラウンドのシュート(サイドライン沿いから走り込むシュート)を打つ位置にいるから、私がライトバックに入った時は、ほぼ隣にいるような距離感でした。コーナーに位置を取って、ワイドに攻めるという発想がありません。『そこにおったら、めっちゃ狭い。何もできへんやろ』という感じで、北マケドニアにいた時は、得意のアウト割りはほとんどできませんでした。でも、彼女は長年このチームでやっているし、3カ月しかいない私が言っても、絶対に聞いてくれないから、そこは割り切ってやっていました」(下に記事が続きます)

来季も海外で

試合会場のチケット売り場で受付をする辻。ヒザの手術で動けない時期があったから、「体が動くうちに、海外に挑戦したい」気持ちが強くなった=2024年2月
試合会場のチケット売り場で受付をする辻。ヒザの手術で動けない時期があったから、「体が動くうちに、海外に挑戦したい」気持ちが強くなった=2024年2月

「北マケドニアでの3カ月は大変でした。街を歩いていても、子供たちから差別用語を投げかけられることもありました。北マケドニアに行ったタイミングが、ちょうどラマダン(イスラム教徒の断食)が始まった月で、日中にお店がほとんど開いていなくて、『日本にいたらわからないけど、世界にはいろんな人がいるんやな』と思いました。次のシーズンは、もうちょっとハンドボールの理解度の高いチームでプレーしたいと思っています。また大変やけど、チームを探すしかないかな」

「ハンドボールでの成功って、何でしょうね。それは人それぞれだと思います。数字や所属チームで見る人もいますが、別に正解も不正解もないですし。私は今、紆余曲折していますが、日本に残っていたら経験できないようなことを経験して、いろんな世界を知れています。『日本に残った方が良かったんちゃうん?』と思う人も絶対いると思います。でも、満足にハンドボールができなかった1年間でも、見えた世界はありました。世界のトップも見られたし、いろんなチームも知れたし、ハンドボールだけではないってことも学べました。生きていくためには、自分の武器が必要です。仮に英語を自分の物にして、将来は別の形で世界で活躍するとなったら、今、ハンドボールをしながら英語を学べることはラッキーなことでしょう。長い人生で、ハンドボールをしている時間なんて、ほんの数年です。この先の長い人生に役立つことが、ハンドボールのなかにあるのなら、それはそれでうれしいことだと思いながら、生活しています」

辻菜乃香(つじ・なのか)1999年2月7日生まれ、大阪府出身。身長162㎝、ポジションは主にセンター(CB)。大浜キッズでハンドボールを始め、中学時代には大阪ジュニアクラブでスウェーデンの大会に出場し、ヨーロッパのハンドボールに憧れを抱いた。四天王寺高校(大阪)、武庫川女子大学を経て、イズミメイプルレッズ広島で4年間プレーしたのちに、2025年9月からデンマークに渡る。2026年からは3カ月間、北マケドニアのWHCチェア・スコピエでプレー。2026-27シーズンも海外でのプレーを希望して、新たな所属先を探している。

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