2026年、愛知・名古屋アジア大会。前代未聞の選手村建設中止
その選手村の建設を、2026年愛知・名古屋アジア大会では中止するという報道(2023年5月)に触れて驚いています。
アジア大会とは
アジア・オリンピック評議会(OCA)が主催し、4年に一度開かれる総合スポーツ競技大会。アジア45の国と地域が参加する。第1回は第二次世界大戦後の1951年、インドのニューデリーで開催。「戦争によって引き裂かれたアジア諸国の絆をスポーツを通じて取り戻そう」という願いを込めて始まった。日本では1958年に東京、1994年に広島で開催され、第20回にあたる2026年の愛知・名古屋大会が日本で3回目に行われるアジア大会となる。
アジア大会は「無観客」だった東京五輪以来、5年ぶりの国際総合スポーツ競技大会になります。東京で果たせなかった「国際交流」「異文化交流」をぜひ愛知・名古屋で、と思っていたファンも多いのではないでしょうか。
ところが「原材料費の高騰などで整備費が大幅に増える見込み」という理由で、交流拠点となるはずの選手村(約1万人収容)建設が見送られるといいます。
選手の宿泊には県内のホテルで対応する方向で、すでに手配が進められているとか。アジア大会級の大規模な国際スポーツ大会で選手村を設けないのは前代未聞です。
さらに2023年6月、競泳・飛び込み、馬術の愛知開催を断念し、2021年東京五輪で使用した施設に移管するというニュースも飛び込んできました。競技に必要な施設に満たないとOCA(アジアオリンピック評議会)から、判断されたといいます。いったい何をやっているのでしょうか。国際スポーツ競技大会の運営能力に関して、日本の信用はがた落ちです。
「どえりゃあ楽しいアジア大会」のはずが
2026年アジア大会の愛知・名古屋招致が決まったのは、2016年9月25日のことでした。私自身も朝日新聞スポーツ部記者として取材・報道に関わりました。
招致決定後、河村たかし名古屋市長は「どえりゃあ楽しいアジア大会にしたい」と記者団に語った、と同日発行の朝日新聞PDF号外は伝えています。
2026年、ホテルのシングルルーム。何のための大会招致か
国境や人種、性別、宗教、信条、競技の枠などを超えて選手同士や関係者、市民が交流し、フェアプレーを体現し、平和を分かち合う。それがオリンピックやアジア大会をはじめとした国際総合競技大会の本来の意義です。
オリンピック・パラリンピック期間中は休戦を呼びかける国際的活動「オリンピック休戦」も定着しています。スポーツには平和をつなぐ社会的意義があります。
行き違いもある日中、日韓、インド太平洋地域での関係を、スポーツが取り持つはずの2026年アジア大会。それなのに、ホテルのシングルルームに各国選手を押し込んでしまうとは。そもそも、選手村の建設計画など招致した際の「国際公約」を反故にすること自体、ありえないと思うのです。
愛知・名古屋アジア大会は地元の世界的企業、トヨタの支援が得られていないことも「大苦戦」の理由と聞きます。何のためのアジア競技大会招致だったのか、と首をかしげざるを得ません。大会準備に奔走する関係者のことを思うと、自身も五輪では当事者だっただけに胸が痛みます。
1964年、東京五輪。「レガシーはモノではなく、心」
冒頭で紹介した1964年東京五輪で通訳を務めた島田さんは「レガシーはものではなく心」と説きます。
オリンピック・パラリンピックなどのスポーツでは、本気になって努力することの素晴らしさと、フェアプレーの精神を学んでほしい。もうひとつは、異文化交流です。相当な数の外国人がどっと日本に押し寄せてくるはずですから、ぜひそういう人たちとの交流を楽しんでほしいなと思います。
笹川スポーツ財団のインタビュー「トップ通訳としてみた東京オリンピック」
先が見通せない、不安定な国際社会でスポーツにできることは何か。【ペンスポ】ではグローバルに活躍された島田さんの言葉を胸に刻み、ペンの力でスポーツの価値を伝えていきます。