競馬の宝塚記念を翌日に控えた土曜の夕方、財布を拾った。自宅から歩いて2分のセブン-イレブンに競馬新聞「優馬」を買いに出かけた時だ。宝塚記念は今年上半期G1の締めくくりだ。阪神競馬場芝2200m。世界ランク1位の最強馬、イクイノックスが大方の予想通り、ゴールラインに飛んでくるのか。展開のあやでイクイノックスが万一、負けるとしたらどの馬なのか。
東京・文京の路上で拾った財布、持ち主の手がかりは…
自分にとっては週末のビッグイベントだ。そんな宝塚記念の結末に思いを巡らせているとき、その財布は足元に落ちていた。めずらしく人通りが少なかった東京・文京区の路上だ。
こういう時は交番に届けるべきだろう。でも、待てよ。15分後には競馬仲間とリモート予想会がある。割と急いでいる。きっと、この財布には持ち主の手掛かりがあるはずだ。持ち主に直接、連絡してあげよう。そう考えた。
合皮ビニールにキズ、汚れも目立つ二つ折りの財布を開けた。現金、小銭だけ。176円が入っていた。
彼女の写真だろうか。どうも日本人じゃない。在留カード。ベトナム人だ。20代男性。在留カードの名前をフェイスブックで検索した。ヒットしない。
一枚の名刺を頼りに電話。「うちの従業員です」
川崎市内のスーパーのレシートが入っている。ゆうちょカードも。最後にやっと手掛かりになりそうなものが出てきた。神奈川県の工務店社長の名刺一枚が札入れの端に挟まっていた。
電話してみる。「あなたの名刺が入った財布を拾ったんですけど」「はい、本郷の路上です。たぶんベトナムの方の」。
その社長の甲高い声色ですぐに「ビンゴ!」だとわかった。
「あ、あー、それ、うちの従業員です。本当にありがとうございます」。そして、恐縮した声で言った。
「すみません、着払いで送っていただくと助かるのですが」
「にほんでがんばってください」走り書きとともにレターパックへ
持ち主の輪郭が分かってくると、176円しか入っていない、迷子の財布が急に切なく見えてきた。
在日外国人労働者や日本で学ぶ留学生がコロナの余波や昨今の円安、物価高騰で困窮しているというニュースを見たばかりだ。仕事やアルバイトを解雇されたり、雇い止めになったりする外国人労働者が増えている。彼はいい社長に恵まれているようだが、国になかなか帰れない日々を送っているにちがいない。
この日2度目のセブン-イレブンでファスナー付き袋を買って財布を包み、レターパックライトの封筒に財布を入れた。「着払いでいい」とは言われたが、こっちにもプライドはある。
ここは発払いで。370円で厚さ3センチ、4キロまでの荷物が送れる。
「ほんごう3ちょうめのみちでひろいました。そのままおくります。にほんでがんばってください。ぼくはホーチミンに行ったことがあります。バインミーサンドイッチもだいすきです」という走り書きも添えた。
あしながおじさん、タイガーマスク気取り。徳を積んだ。なんだかすがすがしい。
勝負避けた翌日、10回以上の「ありがとう」
宝塚記念はイクイノックスの本命は揺るがないと結論付けたが、結局、単勝1.3倍の低オッズを嫌って勝負を避けた。「逃げるが勝ち」も勝負の世界では重要だ。結局、イクイノックスが大外から飛んではきたが、不思議と悔しくもなんともなかった。
その翌日、携帯が鳴った。見知らぬ番号からだった。1分足らずの電話。財布の持ち主のベトナム男性だとすぐにわかった。いっぺんに10回以上の「ありがとう」を言われた経験は、初めてだった。
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