ハンドボールが盛んな富山県に、男子のクラブチームが誕生しました。「富山ドリームス」です。全国でも強豪の氷見高が高校三冠を果たした2018年、指揮をとった徳前紀和監督がGMに就任し、国内随一の「戦術マニア」と言われる吉村晃監督を招へいしました。2023年が日本リーグ参入1年目で、まだリーグでの初勝利はありませんが、これまでの日本のハンドボール界にはない型破りな戦い方で注目を集めています。※2023年11月11日、ゴールデンウルヴス福岡を相手に31-26で競り勝ち、初勝利を収めました。
動きの予想を超えるチーム
日本のハンドボールを長く見ていると、ある程度のイメージが固まってきます。「こういう動きをするだろうな」という予想の範ちゅうを越えることはまずありません。そんな我々の固定観念を破るのが、富山ドリームスです。
フリースローで6人全員集合
富山ドリームスの試合は「見たことのない景色」のオンパレードです。ベンチ入りを2ユニットに分けて、ある程度の時間が経ったらごっそりとメンバーを入れ替えます。全選手がほぼ均等に出場するイメージでしょうか。なかなか大胆な配分です。
フリースローで相手から3メートル離れて再開する時は、CP(コートプレーヤー)6人が「全員集合」します。普通なら壁を2~3枚作って、そこから打ち込むか、展開するかなのですが、富山ドリームスは全員がボールに集まります。
「DF(ディフェンス)を寄せる意図があるんですよ」。今年から富山に加入した庄司清志が教えてくれました。6人全員が一カ所に集まったら、DFも寄らざるを得ません。外のスペースが広くなったところを、富山ドリームスは狙っていました。理にかなったスペースの作り方です。
変則5:1ディフェンス、ボールとは逆へ
富山ドリームスが見せる「見たことのない景色」。極めつけは変則の5:1DFです。6人が横一線に並ぶ6:0DFから始まって、そこから右の2枚目(外側から数えて2人目の選手)が前に飛び出します。ここまではよくある形なのですが、トップに出た松島徹や北林誠生が不思議な動きをするのです。
通常であれば、DFはボールを持った選手に圧をかけにいきます。もしくはパスコースを遮断する場所へと移動します。「ボールにたかる」のがDFの大原則。誰もが信じて疑わないセオリーです。ところが富山ドリームスのトップの選手は、パスとは反対方向に移動するのです。パスが右に来たら左へスッと移動し、パスが左に来たらボールを避けるかのように今度は右へ動くのです。「ボールに集まる」人間の本能と反する動きです。
セオリーの真逆、ボールから逃げる動き
吉村監督に質問すると、あまりネタばらしはしたくないといった表情で、最低限のポイントだけ教えてくれました。
「6:0DFで左右の2枚目が前後にけん制をかけるより、トップに出た1枚が左右に動いた方が効率がいいと思って、このDFをシステムを取り入れました」
積極的な6:0DFでは、左右の2枚目が前に出て、相手のエースに圧をかけます。でも前に出っぱなしだと背後のスペースを狙われるので、出たり戻ったりのピストンでカバーします。その運動量こそが2枚目の命で、前後に動ける選手がいい選手だと、長年言われていました。
ところが吉村監督は、2人が交互に前に出るのであれば、1人が横移動で対応した方がリスクも運動量も少なくなると考えたのです。確かに裏のスペースができるリスクを防げるし、横移動の方が動きやすく、無駄もありません。こうして「ボールにたからない」不思議な5:1DFが誕生しました。セオリーとは正反対の、ボールから逃げるような動きは、見ていて頭が混乱しそうになります。
変則DF、相手の攻撃をつぶす狙いも
筑波大の大学院で学んだ森永浩壽が、このDFのメリットを解説してくれました。「相手のOFのきっかけをつぶす狙いもあるんですよ。相手がパスを出そうとした時に、トップがそっちに寄っていたら、簡単にパスを出せなくなります」。
セットOFではポジションチェンジから大きく動いて、攻撃のきっかけを作っていきます。味方にボールを預けたあとに、ボールを持たない選手同士がポジションを移動しながら、相手とずれた位置を取ったりします。ところが富山ドリームスの変則的なDFだと、ボールを預けたい味方のところにDFが先回りしているので、パスを出せません。きっかけの動きを中止して、隣同士で仕方なくパス交換をするか、ドリブルをついて1対1で攻めるしかなくなります。相手のやりたいことを封じて、攻撃の選択肢を制限する、一石二鳥以上の効果があるようです。
幼少期から”反・本能”鍛える欧州流
ボールと反対に動くDFの動きは、本能に反する動きです。慣れていないと大変でしょう。試合のなかでトレーニングしているようにも見えました。ヨーロッパのハンドボール事情にも詳しい森永は、そこもポイントのひとつだと言います。
「ヨーロッパが子供のころからやっているようなトレーニングを、今、試合のなかでやっている感じです。戦術理解の高い選手だけが試合に出るよりも、チーム全員が吉村監督のハンドボールを理解して底上げを図った方が、チーム全体で得る物は大きいと考えて、今は全員でプレータイムをシェアしています」。
ハンドボールは走る、跳ぶ、投げるといった「人間の本能を全開にするスポーツ」と言われていますが、プレーを成立させるためには「人間の本能に反する動き」がキモになります。ヨーロッパの選手は、本能に反する動きを幼少期から鍛えられています。そこに吉村監督は着目したのでしょう。ちなみにボールと反対に行く動きは、OFならピヴォットのスライドプレーなどにも応用できます。
試合のなかでハンドボールらしい動きを身につけ、全員が底上げしていけば、チームの勝利にも近づくし、トータルなスキルを持った選手が揃う――。富山ドリームスの戦い方は、吉村監督の壮大なヴィジョンのもとに練り上げられた奇策なのです。
吉村監督「予備校の先生」から変貌
豊田合成でコーチをしていた時代の吉村監督は、よくも悪くも「予備校の先生」みたいなところがありました。「この戦術が当たるぞ」と選手をその気にさせて、試合で的中させることで、自身のカリスマ性を高めている感がありました。「目先の勝ちは拾えるけど、選手の可能性を引き出すという点ではどうなのか?」といった指摘もありました。その後日本男子ジュニア代表監督などで経験を積み、単なる戦術マニアから、選手を育てて勝つ指揮官へと変貌したようです。
「最近は対戦相手がものすごく対策を立ててくるんですよ。こんな弱いチームをあまり研究しないでほしいです」。吉村監督は会見でぼやいていました。どのチームも富山ドリームスの「見たことのない戦術」に手を焼いているのは明らかです。
2022年に誕生「ハンドボールのトレンド発信」
2022年からチーム作りを始めた富山ドリームスには「ハンドボールのトレンドを発信する」というミッションがあります。今すぐに勝てるチームではないけども、世界のハンドボールの最新の戦い方や、独自の戦術などを発信することで、日本のハンドボール界を刺激していきたい――。聞いた当初はいまひとつピンとこなかったミッションでしたが、実際に日本リーグの試合で見ていくうちに、単なる流行を追うのではなく、骨太な思想が伝わってきました。
ハンドボールのGKは「相手に見たことのない景色を見せる」のが鉄則と言われています。いつもと違う構え、位置取りで、一瞬でも相手に考えさせたら勝ちだというのです。富山ドリームスのハンドボールも「見たことのない景色」の連続です。「えっ、そんなの見たことない」から始まり、何度も味わううちに「こんな考え方もあるのか!」と驚かされます。そこに日本リーグ初勝利がついてきたら最高でしょう。リーグ再開は11月から。少し先にはなりますが、その間に新たな戦術を仕込んでいるかもしれません。ハンドボールで「見たことのない景色」を見たいなら、富山ドリームスの試合をおすすめします。
ハンドボール日本リーグ 2023~24シーズンは男子13チーム、女子11チームが参加。男子は7月に開幕し、女子は10月に開幕する。ホームアンドアウェイの2回戦総当たりで、男女とも上位4チームがプレーオフに進出する。男子は豊田合成がリーグ3連覇中。女子は北國銀行が9連覇中。
ペンスポニュースレター(無料)に登録ください
スポーツ特化型メディア“Pen&Sports”[ペンスポ]ではニュースレター(メルマガ)を発行しています。ペンスポの更新情報やイベントのご案内など、編集部からスポーツの躍動と元気の素を送ります。下記のフォームにメールアドレスを記入して、ぜひ登録ください。
\ 感想をお寄せください /