MENU
ニュースレターに登録する

「今週の1本」やイベント案内など、スポーツの風をお届けします。

個人情報の扱いはプライバシーポリシーをご覧いただき、同意の上でお申し込み下さい。

【パリ五輪/柔道】混合団体、日本「銀」フランスの底力に逆転負け

パリ五輪柔道の混合団体決勝、代表戦でリネールと戦う斉藤立を見守る(右から)阿部一二三, 高市未来, 髙山莉加, 角田夏実, 村尾三四郎=2024年8月3日、パリ・シャンドマルス・アリーナで(写真:ロイター/アフロ)
パリ五輪柔道の混合団体決勝、代表戦でリネールと戦う斉藤立を見守る(左から)村尾三四郎、角田夏実、高市未来、阿部一二三、髙山莉加=2024年8月3日、パリ・シャンドマルス・アリーナで(写真:ロイター/アフロ)
  • URLをコピーしました!

パリ五輪第9日の2024年8月3日、最終日の8日目を迎えた柔道はシャンドマルス・アリーナで男女混合団体戦が行われた。決勝は初めての実施となった3年前の東京五輪と同じ顔合わせとなり、日本はフランスに代表戦の末、3-4で逆転負け。2大会連続の銀メダルに終わった。フランスは個人戦では男子100kg超級のリネールの金メダル1つだったが、最後に底力を見せて母国開催の五輪に花を添えた。

混合団体戦 前回東京五輪から採用された。男女3人ずつで階級は男子が73、90、90kg超級、女子は57、70、70kg超級。選手は個人戦に出場した者。引き分けはなく、4分で決着がつかない場合は個人戦同様に時間無制限の延長(ゴールデンスコア)へ。先に4勝した方が勝利。4人目、5人目までで勝負が決まれば、後の試合は割愛する。6人を終えて3勝3敗になった場合は、抽選で代表戦を行う階級を決める。

目次

代表戦の斉藤、再びリネールに屈す

一時は3-1とリードした日本は全6人が戦い終えて3-3に。整列して見つめた先の館内スクリーン。代表戦の対戦を決める抽選のルーレットが止まったのは、この団体戦用の階級である男子90kg以上級だった。大歓声の中、試合場に現れた絶対王者リネールに斉藤立(ジャパンエレベーターサービスホールディングス)が再び、立ち向かった。本戦では延長に入った7分過ぎに内股で一本負けしていた。雪辱の機会が訪れたが、やはり世界最強の壁は厚かった。

個人戦の延長と同じ、反則負けを含む一本か、技ありが出た時点で試合が終わるゴールデンスコア方式。斉藤左、リネール右組みのけんか四つ。本戦から組み手で上回る王者に斉藤は本来の攻めが出来ない。前日の100kg超級の個人戦で見せていた右手で相手の左脇の辺りをつかむ父・仁さん譲りの組み方も、腹の辺りのしか持てていなかった。これでは柔道着が伸びるだけで、相手に圧力をかけられない。大内刈り、内股、体落としも威力が半減していた。奥襟を取られて頭が下がり、6分20秒過ぎ、リネールのけんけんでの大内刈りに170kgの体が横転。本戦に続いて完璧に投げられた。

IOC(国際オリンピック委員会)の日本語公式Xより

日本、4番手・角田の王手から連敗

出だしは想定以上の展開だった。先鋒の男子90kg級では個人戦銀メダルの村尾三四郎(ジャパンエレベーターサービスホールディングス)が銅メダルのヌガヤプハンボに大内刈りからの内股で快勝。続く女子70kg超級では、個人戦で負傷した素根輝(パーク24)に代わり、団体戦4試合全てに出場した78kg級の高山莉加(三井住友海上)が、78kg超級銅メダルで100kg近いディコに肩越しに帯をつかまれて振り回されながら懐に飛び込む大内刈りで技あり。起死回生の勝利を握った。

斉藤が敗れた後の女子57kg級には、満を持して起用された48kg級金メダリストの角田夏実(SBC湘南美容クリニック)が登場した。相手は個人戦で舟久保遥香(三井住友海上)に一本勝ちしているシシケ。2階級上の銅メダリストに代名詞の巴投げ一本を決め、日本は「王手」を掛けた。

5人目の男子73kg級には66kg級で五輪連覇を成し遂げた阿部一二三(パーク24)がいた。本当ならここで勝負をつけたかった。相手は一つ上の階級の銀メダリスト・ガバ。序盤からどんどん攻め、終始優勢ではあった。だが、相手も腹ばいになり、必死に防ぐ。延長に入ってほんの一瞬下がった時に頭から突っ込んできたガバの肩車が決まった。本当にその一度しか、相手の勝機はなかったように思う。

最後の6人目、大将の女子70kg級には63kg級で3大会連続代表となった高市未来(コマツ)が入っていた。この階級の新添左季(自衛隊)が準決勝で左腕を負傷した。30歳のベテランに命運がかかった。フランスは長年ライバルとして戦ってきたアグベニェヌ。個人戦では連覇こそならなかったが、銅メダルを死守していた。

これも展開は高市の方が押していたと思う。個人戦でメダルを逃した鬱憤を晴らすように攻めた。この日は初戦2回戦でもみんなの動きが硬く苦戦したスペイン戦で気を吐き、本戦と代表戦で一本勝ち。日本の初戦敗退の危機を救っていた。しかし、延長に入り、攻め込んだ大外刈りがやや高かった。返し技。アグベニェヌが体を倒すように巻き込むと、ポイントを奪われた。

国際柔道連盟の公式Xより

混合団体、まさに現代の無差別級か

勝負どころで2連敗。追いつかれた時点で、流れはフランスに傾いていた。日本はけが人を抱えながら、既定よりも体重の軽い金メダリスト2人、角田と阿部を投入して、打てる手は全て打った。満員の会場は大興奮。地響きのような歓声に包まれた。日本時間深夜に行われた手に汗握る大接戦。それでも、最後に「勝利の女神」がほほ笑んだのは母国開催に全身全霊をかけてきた柔道大国フランスだった。

混合団体戦が初開催された3年前、個人戦14階級中9階級を制した日本が最終日に同じように負けた。団体戦はその国の威信をかけた戦いでもある。あの時、1964年に柔道が五輪に初採用された東京のことが頭に浮かんだ。体重別3階級は日本が全勝した。しかし、最終日の無差別級で神永昭夫がヘーシンク(オランダ)に敗れ、「最強」を逃したことで、「日本柔道は敗れた」「真の国際化の始まり」と言われた。無差別級は女子を入れることと引き換えに86年ロサンゼルスで廃止されたが、総合力で争う団体戦が「一番強い」を決める現代の無差別級と言えるかもしれない。(下に記事が続きます)

今はフランスを称えよう

リネールを中心に肩を組み、喜びを爆発させるフランスチーム。一方、2敗してしまった斉藤は「日本柔道の代表として顔向けできない」と言い、金メダルを決めきれなかった阿部は「日本の皆さんに申し訳ない気持ち」と話した。だが、そんなことはない。日本は総力戦で全てを出し切って戦った。だが、フランスの方がわずかに日々の鍛錬、勝負への執念が上回っていたと考えるしかないだろう。

1964年の時も五輪後、「日本人なら潔く腹を切れ」などと神永に日本刀が送られてくるなど、中傷が続いたという。だが、本人は「私は全力を出し切った。それでもヘーシンクの方が強かった。私に恥じるべきことは何もない」と平然としていた。当日の表彰台でも自ら勝者に握手を求め、翌日からはまた普段通り会社に出勤して稽古も始めた。これは引退後、母校の監督を務め、私もご本人の存命時に指導を受けた明治大学柔道部に伝わる逸話だ。

斉藤、阿部だけでなく日本柔道界全体に「打倒フランス」という、新たな4年間を懸命に稽古する大きな目標が出来たはずである。今はフランスを称えよう。代表選手は胸を張って帰国して欲しい。そして、次こそ「本家」のプライドを取り戻すために、厳しい鍛錬を再開することを願っている。

フランス柔道連盟の公式Xより

ペンスポニュースレター(無料)に登録ください

スポーツ特化型メディア“Pen&Sports”[ペンスポ]ではニュースレター(メルマガ)を発行しています。「へぇ」が詰まった独自ニュースとスポーツの風を届けます。下記のフォームにメールアドレスを記入して、ぜひ登録ください。

個人情報の扱いはプライバシーポリシーをご覧いただき、同意の上でお申し込み下さい。

  • URLをコピーしました!

\ 感想をお寄せください /

コメントする

目次