これまで経験したことのないやり切れなさを抱えながら、この記事を書いている。2023年9月21日。Pen&Sports [ペンスポ] 編集長の原田亜紀夫は東京地裁第104号法廷に入った。東京五輪・パラリンピックの大会運営をめぐる「談合事件」で、独占禁止法(不当な取引制限)の罪に問われた大会組織委員会大会運営局の元次長、森泰夫さん(56)の第二回公判を傍聴するためだ。森さんは私にとって大会組織委員会の同僚であり、旧知の間柄だ。ここではあえて「森被告」ではなく「森泰夫さん」と書くこととする。
東京地裁、約30人の傍聴券に120人。電子抽選に当選
開廷は午後1時半。12時半すぎに東京地裁に着いた。約30人しか入れない傍聴席を求めて希望者が押し寄せてきた。締め切りの午後1時には120人ほどが並んだ。傍聴券は地裁のPCによる電子抽選で決まる。私の整理券は3番目だった。
五輪という国家プロジェクトをめぐる「談合事件」。注目度は高い。振り返ると、顔見知りの記者、元組織委員会職員、都庁職員も見かけた。傍聴希望者のほとんどは、どこか第三者的というか、スキャンダラスにこの公判を見届ける空気を感じ、居心地が悪かった。抽選を待ちながら、談笑している集団もいた。
約4倍の電子抽選に当選して傍聴券を手にした。
森さんから公判8日前にメール。「思うに任せない日々」
森さんとは2004年からの旧知の間柄だ。公判の8日前、森さんからメールを受け取った。
「なかなか思うに任せない日々でもありますが、9月21日に第二回公判になります。こちらは粛々とすすめていくことになりますが、終わりましたらどこかでご説明もできればと存じます」。そう書かれていた。
2023年2月8日に逮捕された時点から、実名、顔写真付きで報道されてきた。その後、起訴されて罪に問われた森さんは「被告人」となり、起訴内容を認めた。周囲の人からは距離を置かれた。すべてを失い呆然と立ちすくんでいるような状況といった内容のメールも別の日に届いていた。
森さんがしたことは法が裁く。ただ、孤独や不安が痛いほど伝わってきて、いてもたってもいられない思いが募っていた。
実直な性格、重責一身に背負う
13時半。黒いスーツ。えんじ色のタイ。おそらく7月の初公判と同じ格好で森さんが入廷した。表情は硬く、顔色は日焼けとは違った、黒ずんだ色に見えた。19年前、森さんと初めて会ったころを思い出した。
私は2004年に彼が東急電鉄から日本陸上競技連盟(日本陸連)に転職したころから親交がある。それ以来、実直かつ、人一倍責任感が強い彼の性格を知っている。
私が森さんと最初に会ったのは2004年、日本陸連との記者懇親会だった。森さんは横浜国大陸上部出身。私と同じ800m、1500mの中距離選手だったということもあり、「陸上愛」でまず通じ合った。
当時、私は朝日新聞スポーツ部の陸上担当記者だった。大阪での世界陸上(2007年)を控え、福岡国際マラソン(当時)や東京国際女子マラソン(当時)を朝日新聞社が主催していたこともあり、様々な取材や調整で森さんとやり取りした。私が陸上取材の持ち場を離れても気にかけてくれ、定期的に連絡をくれた。
「組織委員会に来ないか」誘われ入会
私が朝日新聞を退社した後、森さんは私を東京オリンピック・パラリンピック大会組織委員会の職員にならないかと、朝日新聞時代の同僚を通じて2度、誘ってくれた。
1度目は国際ヨットレースSailGPの広報・コミュニケーションの仕事に就いていたこともあって断ったのだが、コロナ禍に突入すると状況が一変した。SailGPの2020年3月のシドニー大会を最後に、残りのレースが中止となった。2020年夏に開かれるはずだった五輪・パラリンピックも1年の延期が決まっていた。
森さんがいた大会運営局で、VGM(べニュー・ゼネラルマネジャー)だった関連企業からの出向者が複数名、出向元に戻ることになり、その代役を探していた森さんに誘われる形で、私は東京2020オリンピック・パラリンピック大会組織委員会職員となった。森さんがいなければ、私は自国開催の五輪で大井ホッケー競技場のVGMとして大会運営に関わることもなかった。
マラソンコースの札幌移転も推進
大会組織委員会勤務時代には、同僚として、およそ失敗の許されない五輪という国家プロジェクトの重責を一身に背負いながら様々な「調整業務」に没頭していた姿を遠巻きに、時にはそばで見てきた。
国際オリンピック委員会(IOC)が猛暑を嫌って、すでに東京の名所をめぐるコースが決まっていた男女のマラソンコースを急転直下、2019年10月になって札幌に移すよう提案(実際は指示)してきた時も、その実務を先頭に立って推進したのは森さんだった。
テスト大会の受注業者が本大会担ったからこそ
私が組織委員会に入会したのは大会延期が決まったあとの2020年7月1日だ。8月から大井ホッケー競技場のVGM(べニュー・ゼネラルマネジャー)に任用されたが、一連の「談合」の発端として問題視されている「テスト大会」は大井ホッケー競技場の場合、すでに1年前の2019年8月17~21日に終えており、それ以前にどのような受注調整が行なわれたかは現認していないので知る由もない。
テスト大会の計画立案業務の入札は2018年5月~8月の間に26件行われ、電通を含む計9社が計5億円余りで落札したことは、後で報道で知った。9社はテスト大会の実施業務と本大会の運営業務も随意契約で受注し、契約総社額は約437億円に上ったとされる。
「談合した7社の粗利益は約6億~約52億円で、他のスポーツ大会より利益率が高かった」との報道もあったが、「他のスポーツ大会」とはいったい何なのだろうか。33競技の国際大会を同時に実施するという、国内の誰もかつて運営したことがない、突出して規模が大きいスポーツイベントの比較対象は私には思い当たらない。
そして、競技会場の安全・安心を管理するVGMだった立場として確実に言えることは、テスト大会で様々な課題(競技運営、暑さ対策、輸送対策、表彰式、コロナ対策、人員配置、リスク管理など)を抽出し、個々の解決策を練り、粘り強く準備を重ねたコントラクター(受注業者のことを組織委ではそう呼んでいた)がそのまま、本大会の運営を担ったからこそ、円滑に安全に大会を実施できたということだ。
求刑2年。検察側「国民に失望感生まれた」
検察側は「大会に対する世界中の人々の信頼を損なった」として懲役2年を求刑した。
論告で検察側は、森さんが「談合構造の中核をなす主導的、中心的役割を果たし、電通グループ側と二人三脚で受注調整していた」と指摘した。複数の事業者の希望が重なった場合は、森さんと電通側が意中の事業者を決めていたとし、「大会運営が滞りなく進んでも、犯罪行為の末だとすれば真の成功とは言い難い」。「事件によって東京オリンピックに対し、国民の間に失望感などが生まれた」などと述べた。
弁護側「悪質だと一刀両断されるのは極めて酷だ」
これに対して、弁護側は「成功への重責を一身に背負っていた。入札にどの事業者も参加しない競技が出れば大会の開催に支障をきたす。そうならないようにやむなく受注調整した」と反論した。
そしてそれは「確信犯ではない」とし、「違法性の確定的認識もなかった」上に、「経済的な利益を受けておらず、私腹を肥やした事実もない。過重な社会的な制裁も受けている」とした。被告の意向に反して応札した事業者もあった上、談合により大会経費が増加したとまでは認められないとし、「悪質だと一刀両断されるのは極めて酷だ」と訴えた。
最後に森さんは「特に私の方からはありません」と述べ、裁判は結審した。判決は12月12日。「1人を厳罰に処せば済む事案ではない」との弁護側の訴えが心にこだまするように響いていた。
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