【ビーチハンドボール】アンバサダー8年、矢原里夏が育てたThetis東京

2022年10月の全日本ビーチで、テティス東京が初優勝。矢原里夏が宙に舞った=久保写す(以下すべて)
2022年10月の全日本ビーチで、テティス東京が初優勝。矢原里夏が宙に舞った=久保写す(以下すべて)
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ヤハラリカの芸名で活動するモデルでもある矢原里夏が2026年3月限りで、ビーチハンドボールアンバサダーの任務を終えた。矢原は2018年からの8年間、アンバサダーを務め、ビーチハンドボールの普及に大きく貢献した。ここではThetis東京(以下テティス東京)を立ち上げ、初心者にビーチハンドのおもしろさを伝えた功績を紹介したい。

目次

サハラ・ナミブ砂漠を完走

モデル業だけでなく、トークも達者な矢原(写真右)。日本リーグのプレーオフでレポーターを務め、評判がよかった
モデル業だけでなく、トークも達者な矢原(写真右)。日本リーグのプレーオフでレポーターを務め、評判がよかった

矢原里夏は東京の名門・佼成女子高校でGKだった。高校卒業後はヤハラリカの芸名で芸能活動を続ける傍ら、クラブチームでプレーしていた。長い手足を駆使した、ダイナミックな駆け引きが持ち味である。

矢原をひと言で表すと、とにかくガチな人。趣味のマラソンが高じて、2017年には砂漠の中の250キロを7日間かけて走る「サハラマラソン」に参加し、見事完走している。2019年にも「ナミブ砂漠レース」の250キロを7日間かけて完走した。砂漠で寝泊まりし、自炊しながら走るといった過酷なレースにも、平気で耐えられる。スラッとした見た目から想像がつかないほどにタフで、一度やりだしたらとことん向き合うのが、矢原里夏のスタイルである。

余談になるが、矢原は三菱自動車のアウトドア向けファミリーカーのCMにも出演している。選ばれた理由は「ガチのキャンパーだから」だと、矢原は教えてくれた。オーディションでは「ファッションでキャンプをしている人ではなく、ガチでキャンプをしている人のリアリティがほしい」と言われたという。砂漠でのサバイバル経験が、大きな仕事に結びついた。 (下に記事が続きます)

2020年、テティス東京創立

竹内南那子(写真中央)はテティス東京創設メンバーのひとり。結婚して井上姓になってもプレーを続けた
竹内南那子(写真中央)はテティス東京創設メンバーのひとり。結婚して井上姓になってもプレーを続けた

何事にも本気な矢原は、ビーチハンドボールにも真剣に向き合ってきた。2018年にビーチハンドボールアンバサダーに任命されると、2020年には新たなビーチハンドボールチームを立ち上げた。チーム名はテティス東京。東京の立川にあるタチヒビーチを練習会場に、活動が始まった。

テティス東京に集まったのは、ビーチハンド経験のない初心者ばかり。1年目はルールもわからず、空中で一回転するスピンシュートを誰も打てなかった。「まだまだ時間はかかりますね」と、矢原は辛抱強く初心者を見守っていた。

矢原の熱量だけが突出すると、初心者が戸惑う心配もあったが、テティス東京はバランスを保ちながら成長していった。監督のマッケンこと松本賢は、ビーチハンドボールの元日本代表で、初心者にもわかりやすい指導で好評だった。松本監督は言う。 

「みんな仕事で忙しいのに、ビーチハンドに集まってくれています。長く続けてもらうためにも、ビーチの楽しさを伝えるよう心掛けてきました。いいプレーがあればほめる。ミスしても叱らずに、チャレンジしたことを褒める。前向きな声かけを意識しています」

初期メンバーの竹内南那子も「テティス東京のコンセプトは、日本で一番ハッピーなチーム」と、笑顔で答えていた。限られた時間でも全員が前向きに取り組み、上達できるよう、チーム全体で雰囲気作りを重視しながら練習を重ねてきた。(下に記事が続きます)

相棒・長谷川瑛美の存在

HC名古屋ではOF専門だった長谷川瑛美(旧姓高橋)だが、ビーチではDFでも活躍した
HC名古屋ではOF専門だった長谷川瑛美(旧姓高橋)だが、ビーチではDFでも活躍した

また矢原の相棒とも言うべき長谷川瑛美(元HC名古屋、旧姓高橋)の存在も大きかった。昭和学院高校(千葉)でプレーしていた長谷川は、佼成女子の矢原とは練習試合で知り合い、高校卒業後も仲がよかった。長谷川は日本リーグ(現リーグH)仕込みのハンドボールセンスだけでなく、さりげなく矢原をフォローし、チームの雰囲気をなごませていた。矢原は言う。

「私がついパーッと言ってしまうところを、同い年の長谷川が意図をくみ取って、丁寧に教えてくれるから、若い子が成長しました」

理論派で優しい松本監督に、明るくポジティブな長谷川の存在もあり、テティス東京は軌道に乗っていく。

創設3年目、全日本ビーチ初優勝

2022年の全日本ビーチ優勝メンバー。前列左から2人目が矢原
2022年の全日本ビーチ優勝メンバー。前列左から2人目が矢原

2022年10月、神奈川県の三浦海岸で開催された全日本ビーチハンドボール選手権で、テティス東京は初優勝を果たす。創設3年目での日本一は快挙である。チームの創設者である矢原は胴上げで喜びを爆発させた。

初心者の経験値が高まったとはいえ、まだまだ他のチームと比べると得点力は低い。しかし松本監督には秘策があった。

「1セットだけでいいから取ろう。第3セットに持ち込めば、シュートアウトでダンちゃん(矢原のコートネーム)がなんとかしてくれるから」

ビーチハンドボールは10分間の2セット先取制。第1セットで点差をつけられても、第2セットではリセットされ、0-0からのスタートになる。実際にこの年のテティス東京は、決勝のSWAG戦で第1セットを9-16で落としながら、第2セットを13-12でものにして、第3セットに持ち込んでいる。

第3セットはシュートアウトという、ビーチハンド特有のルールがある。インドアの7mスローコンテストの速攻版みたいな形で勝敗を決める。このときにGKはゴールエリアの外に出て、相手のシューターに圧をかけてもいい。待って捕るか、前に詰めてシュートを枝でシャットするかは、GKの判断次第。この駆け引きが、矢原の一番の強みである。GKもできて、長い腕でDFもできる矢原がいるから、第3セットに持ち込めば、ジャイアントキリングを起こせる。決勝戦は松本監督の狙い通りの展開になった。 

出産直後につかんだタイトル

2022年全日本ビーチ女子決勝戦第3セット。SWAG加藤のシュートを矢原が止めた瞬間
2022年全日本ビーチ女子決勝戦第3セット。SWAG加藤のシュートを矢原が止めた瞬間

ビーチハンドの日本代表選手が揃うSWAGを相手に、矢原はひるまない。国内最高の左利き・加藤真彩のシュートを止めて、会場を沸かせた。「加藤とはタイミングが合っていた」と言うように、第2セット以降は勝負どころで相手のエースをことごとく封じた。最後は盟友の長谷川が決勝ゴールを決めて、テティス東京は初の日本一に輝いた。 

この2022年は、矢原にとって思い入れの強い年だった。10月の全日本ビーチは、第一子を出産してからわずか3カ月。復帰当初は「腰は痛いし、お腹に力が入らない」と嘆いていたが、コンディションを整え、大活躍でチームを勝利に導いた。

「初心者でも強くなれる。子供を産んでも続けられる」 

テティス東京が優勝した意義を、矢原はこのように語っていた。

元おりひめジャパンの前に萎縮

負けん気の強さも矢原の魅力。単身でスペインに渡り、現地のビーチハンドボールチームに混ざってプレーしたこともある
負けん気の強さも矢原の魅力。単身でスペインに渡り、現地のビーチハンドボールチームに混ざってプレーしたこともある

ところが翌2023年の全日本ビーチで、前年度優勝のテティス東京は1回戦で負けてしまう。インドアの日本代表OGが揃うCharlie`s(以下チャーリーズ)を相手に、完全に萎縮してしまった。矢原はぶ然とした表情で試合を振り返る。

「向こうはハンドボール界の憧れの人たちかもしれないけど、ビーチの練習量なら私たちが勝っているんだし、前の年に優勝しているのに、なんでビビッてしまうのかな」 

確かにチャーリーズには、永田しおり(現熊本ビューストピンディーズGM代行兼テクニカルコーチ)、原希美(元三重バイオレットアイリス)、塩田沙代(元北國銀行ほか)と、2021年の東京五輪で活躍したおりひめジャパンの名ディフェンダーが揃っている。ワンプレーに対する修正が素早い。とはいえビーチに関しては初心者で、空中での一回転やスカイプレーなどの2点を取るプレーはできていない。なのにテティス東京は相手のネームバリューに怯え、過剰なまでのリスペクトで自滅してしまった。負けず嫌いな矢原は、終始不満げだった。 

翌年に借りを返す

シュートアウトでは、GKがゴールエリアの外に出てもいい
シュートアウトでは、GKがゴールエリアの外に出てもいい

それから1年後の2024年、同じ全日本ビーチの舞台で、テティス東京はチャーリーズに借りを返した。積極的なDFで圧をかけ、セットカウント1-1に持ち込む。第3セットになれば、GK矢原の経験値が物を言う。テティス東京が得意の形でリベンジを果たした。 

テティス東京のDFがいいから、接戦の終盤になるとチャーリーズの選手はシュートを打ちあぐねた。一回転シュートに自信がないからか、インドアのような強気な姿勢が見られない。DFで大活躍した長谷川は「ほら、あの日本代表メンバーが怖がって、シュートを狙えてないよ」と、若いメンバーに声をかけていた。 

しっかりとビーチの練習をしてきたチームが強い。その原点に立ち返ったテティス東京は、準決勝でチャーリーズを破り、準優勝した。課題だった攻撃陣にも、ドイツからの留学生デッカー・ポーリーンや、天理大学で活躍した丸本恵が加わった。日本リーグ引退後にビーチに転じながら、もうひとつ存在感を示せていなかった三田未稀(元広島メイプルレッズ)も「今年は真剣にビーチに取り組みました」と、目の色を変えてプレーした。2024年はテティス東京史上最強の布陣だったと言える。矢原も「今年でテティスは一区切りかな」と言いながら、その戦いぶりに満足している様子だった。 

ラストはタチヒビーチで

2026年3月のビーチハンドフェスタにて。この日は動きを控えて、トークに徹していた
2026年3月のビーチハンドフェスタにて。この日は動きを控えて、トークに徹していた

2025年になると、テティス東京の活動は縮小していく。練習をしたい若手は、新たにMIRALUZというチームを東京で立ち上げた。それでも全日本ビーチで、テティス東京は3位になっている。監督兼任だった矢原は「寄せ集めだけど、ちょっといいメンバーが揃いすぎたかな」と言いながら、3位決定戦のラストでダメ押しのゴールを決めている。この時点で「ビーチのアンバサダーは今年度限りで」とも言っていた。 

アンバサダーとしての最後の仕事は、2026年3月に東京・立川のタチヒビーチで開催された「ビーチハンドフェスタpresented by ENEOS」だった。第二子を身ごもっている矢原は、マイクで会場を盛り上げた。

ハッピーな雰囲気を大切に

ビーチハンドボールのハッピーな空気感を、矢原は愛していた
ビーチハンドボールのハッピーな空気感を、矢原は愛していた

フェスタ終了後、矢原はタチヒビーチの景色を眺めながら、少し感極まっているようだった。テティス東京の練習で何度も訪れたタチヒビーチ。そこでアンバサダーの任期を終えるのも、何かの縁だろう。矢原は8年間を振り返りつつ、次の世代へ思いを託した。

「ビーチハンド特有の、このハッピーな雰囲気を、これからもつないでいってほしいですね」

勝った負けたはあるけれど、みんなで楽しみ、会場を作り上げていく。それがビーチハンドボールのだいご味だし、そういった仲間を増やしていきたい。初心者でも練習次第で上達するから、インドアのように同じ競技レベル同士で群れる必要もない。子供が生まれたら、家族総出で会場に赴き、お母さんがプレーする間、子供は思う存分砂浜で遊べばいい。いい意味で緩く、長く続けられるから、ビーチハンドボールは生涯スポーツに最適だと言われている。

初心者でも強くなれる。子供を産んでも続けられる。矢原里夏はアンバサダーでの8年間を通じて、日本のビーチハンドボールの新たな可能性を、身をもって示してくれた。

矢原里夏(やはら・りか)1984年8月10日生まれ。3歳までアブダビで過ごし、その後は佐賀、東京で暮らす。中学、高校とハンドボール部に所属。佼成女子高校(東京)時代には3年連続で全国大会に出場した。ポジションはGK。高校卒業後に芸能活動を始め、モデル、タレント、MC等で幅広く活躍している。芸名はヤハラリカ。2011年に東京マラソンにエントリーしてからフルマラソンに興味を持ち、2017年にはサハラマラソン、2019年にはナミブ砂漠レースに出場、完走するまでになった。2018年からビーチハンドボールアンバサダーに就任。2026年3月まで8年間務め上げた。

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