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【柔道】パリ五輪「世界最強」争い。100kg超級・斉藤立を推す2つの理由

2024 柔道 グランドスラム・アンタルヤ キャプション Japan's Tatsuru Saito (white) and France's Teddy Riner during the Antalya Grand Slam judo Men's +100kg final match in Antalya, Turkey on March 31, 2024. (Photo by L'EQUIPE/AFLO) クレジット表記 写真:L'EQUIPE/アフロ
グランドスラム・アンタルヤ(トルコ)の決勝、テディー・リネール(フランス)と対戦する斉藤立(左)=2024年3月31日、写真:L'EQUIPE/アフロ
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2024年7月26日(日本時間同27日未明)に開幕するパリ五輪の柔道競技は、男女14階級の個人戦と、東京五輪に続いて混合団体戦が行われる。前回9個の金メダルを獲得した日本勢は、男子66kg級の阿部一二三、女子52kg級の阿部詩の兄妹(ともにパーク24)ら、2連覇を狙う選手が計5人出場する。だが、筆者が今回、最も楽しみにしているのは、初出場で男子10㎏超級に登場する斉藤立(ジャパンエレベーターサービスホールディングス)だ。

目次

最重量級、パワーが勝敗に直結

理由は二つある。

まずは、男子の最重量級は現在の「世界最強」を決める争いであること。プロボクシングのヘビー級をはじめ、大男たちの競い合いは格闘技では格段に面白い。細かいテクニックよりもパワーが勝敗に直結することが多い。勝負が分かりやすく、ボクシングで言えば「KO」、柔道なら「一本」が目立つ。観客が専門家でなくてもワクワクさせられる要因にあふれている。

柔道競技が五輪に初登場した1964年の東京五輪。日本は体重別3階級を制しながら、当時の最重量級と言える無差別級決勝で神永昭夫がアントン・ヘーシンク(オランダ)に敗れた。世界最強の称号は外国選手となり、「日本柔道は負けた。真の国際化の始まり」と位置付けられている。日本柔道が「金メダル以外は敗戦」と言われるのは、この時が始まりだ。(下に記事が続きます)

筆者が一緒に稽古した斉藤仁さんの息子

もう一つは、立は私が柔道をしていた学生時代に嫌というほど畳に叩きつけられた斉藤仁さんの息子であるということだ。ともに左組みでがっぷり。私が大学1年の時に仁さんは4年生。学校は違ったが、指導を受けていた上村春樹氏(当時、日本代表コーチ、現講道館長)が同じだった縁で、私が大学を卒業するまで、特に試合前になると重点的に稽古した。

全盛期、180㎝で150㎏近かった斉藤さんは、文字通り「怪物」だった。柔道ではある程度、「この技には、こうすればまともには投げられない」という受け方がある。私がその理屈を活かせないほど弱かったこともあるが、仁さんは、そういう常識を全く無視するかのように強かった。パワー、瞬発力とも抜群。115㎏だった私は、仁さんの頭より高い位置から落とされることがしょっちゅうあった。

五輪では84年ロサンゼルス、88年ソウルの両五輪で当時の95㎏超級で金メダル。日本柔道界初の五輪連覇を成し遂げた。それでも追い続けていた山下泰裕さん(現JOC会長)には生涯一度も勝てず、「エベレストには登ったが、まだ富士山に登れない」との名言を残した。引退後は日本代表監督、全日本柔道連盟強化委員長などを歴任したが2015年、54歳の若さで病死した。(下に記事が続きます)

191㎝、170㎏ 最大の壁はリネール

さて、その仁さんの次男である立だが、体は父よりも一回り大きい191㎝、170㎏ある。力強さや気持ちの強さはお父さんの方が上だが、体の柔らかさ、巨漢だが相手の襟を持って担ぎ技、刈り技、足技を駆使するスタイルと、稽古で自信を深めていく試合への準備法は、とてもよく似ている。

男女の柔道選手団最年少の22歳が狙う「親子金メダル」の前に立ち塞がる一番手は、地元開催の五輪を引退への花道に考えているテディー・リネール(フランス)だろう。この階級で五輪は金メダル2個、世界選手権では9度も優勝して日本柔道界の前に立ち塞がってきた強豪と、立は2度対戦していずれも敗れている。

初対戦は2023年5月、カタール・ドーハでの世界選手権。準々決勝で当たり、大内刈りで崩す場面もあったが、最後は延長に入って三つ目の指導を取られて反則負けした。2度目は2024年3月のグランドスラム・アンタルヤ(トルコ)の決勝。今度は先に指導2まで追い込みながら内またを返されて惜敗した。それでも、徐々に戦える感触はつかんでいるように思う。

壁はリネールだけではない。2023年末のグランドスラム東京の準決勝で一本負けしたキム・ミンジョン(韓国)は、今年5月の世界選手権で優勝。自信を深めている。昨年3月の国際大会で一本負けしたアリシェル・ユスポフ(ウズベキスタン)も侮れない。中立選手として出場するとみられていた、昨年の世界選手権でリネールと優勝を分け合ったロシアのイナル・タソエフが不参加にはなったが、この階級は実力者が目白押しだ。(下に記事が続きます)

あこがれの亡き父、 同じ舞台に誇り

立にとって、父は幼いころからあこがれだった。中学1年の時に旅立ったが、当時から父の現役時代の映像を何度も繰り返し見ている。「小、中学生の頃は初優勝したロス五輪の根こそぎ持って行く姿が好きだった。でも、今は執念を出したソウル五輪の方が心に刺さる。父と同じ舞台に立てることを誇っていいと思っている」と話す。

いよいよ決戦の舞台が近づいてきた。「父はいつも見守ってくれていると思う。誰よりも練習をやっている、という自信がプレッシャーを力に変えられる。パリは自分だけの五輪ではない。家族、(父と自分の高校、大学の母校である)国士館出身者、全員で戦っていく気持ち。それで表彰台の一番上に立つことが目標」と意気込む。

100㎏超級は8月2日に行われる。父が2度成し遂げた「世界最強」の座を目指して、若き兵(つわもの)の挑戦が始まる。

斉藤 立(さいとう・たつる)2002年3月8日、大阪府生まれ。国士館高ー国士大を経てジャパンエレベーターサービスホールディングス所属。五輪、世界選手権、全日本選手権の柔道三冠を達成した父・仁さん(故人)の影響で小学1年から柔道を始めた。20年全日本選手権優勝。22年世界選手権100㎏超級2位。191㎝、170㎏。

斉藤 仁(さいとう・ひとし)1961年1月2日、青森市生まれ。国士舘高-国士大。1984年ロサンゼルス、1988年ソウルの両五輪で95㎏超級を連覇。83年世界選手権無差別級優勝、86年アジア大会95㎏超級優勝、88年全日本選手権優勝。引退後は全柔連の強化委員長、国士大教授を歴任。2015年1月20日、肝内胆管がんで死去。

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コメント一覧 (4件)

  • 斉藤仁先生の子ということもあり期待ですね。テレビで仁先生から体落としを教わっていたのは立選手だったでしょうか?ここまで順調に父仁先生に近づいて来たことは凄いと思います。

    • 斉藤仁さんは、立選手が幼い頃から柔道の指導をしており、中でも体落としに関しては、足の位置がミリ単位でずれても怒るほどだったそうです。このため、立選手は子どもの頃はそうやって指導を受けるのが「嫌だった」と語っています。テレビ番組でどんな映像が出たのか、存じ上げないので、それが親子のシーンか、どうかは分かりかねますが、立選手がその後、父の技を受け継ごうと必死に努力してきたことは疑いようのない事実です。

  • 彼が代表である以上日本柔道の復活はないと思います
    今回の負けは日本柔道連盟に責任があります。旧態依然とした組織の体質に問題があります。
    その証に、フェンシングの躍進を見れば自ずとわかると思うのですが。
    お金ばかり連盟理事が要求して、根本的な改革をできない組織に未来はありません

    •  コメント、ありがとうございます。
      斉藤立選手は確かに力不足なのは否めません。
      お父さんや山下さんなどと比べると、完成度はかなり低いです。
      ただ、その分、22歳の本人にはまだ、まだ伸びしろがあると私個人は思っております。

       また、彼に代わる選手が重量級で育っていない現実もあります。
      新しい力が出てくれば、そこも変わるかもしれません。
      いずれにしても、国内で切磋琢磨する時代が来ないと、
      重量級の再建には時間がかかると思われます。

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