MENU
ニュースレターに登録する

「今週の1本」やイベント案内など、スポーツの風をお届けします。

個人情報の扱いはプライバシーポリシーをご覧いただき、同意の上でお申し込み下さい。

【サッカー】GK川島永嗣の原点・パルマ留学から23年。元・通訳が聞く[上]ここで絶対に変わるんだ

2024 J1リーグ キャプション 川島永嗣/Eiji Kawashima (Jubilo), MARCH 1, 2024 - Football / Soccer : 2024 J1 League match between Kawasaki Frontale 4-5 Jubilo Iwata at Uvance Todoroki Stadium by Fujitsu, Kanagawa, Japan. (Photo by Naoki Morita/AFLO SPORT) クレジット表記 写真:森田直樹/アフロスポーツ
J1第2節の川崎戦に先発出場した磐田の川島永嗣=2024年3月1日、Uvanceとどろきスタジアム(写真:森田直樹/アフロスポーツ)
  • URLをコピーしました!

J1ジュビロ磐田の練習を終えた川島永嗣(41)と筆者は2024年春、静岡県浜松市内にある「Octagon Brewing(オクタゴンブリューイング)」で再会した。私が「エイジ」と手を差し伸べると、彼は懐かし気に「タカさん」と私を呼び、その手をがっちり握り返した。

川島と初めて会ったのは今から23年前にさかのぼる。埼玉・浦和東高校を卒業して間もない川島がプロサッカー選手としてキャリアをスタートしたJ2大宮時代、川島に初めての海外挑戦、イタリア・パルマでの短期サッカー留学の話が舞い込んだ。2001年夏のことだった。その時、現地でイタリア語通訳を担当したのが私だった。

それから川島は、2010年南アフリカ大会から日本代表GKとして2014年ブラジル大会、2018年ロシア大会と3大会連続でフル出場を果たし、出番なく終わった2022年カタール大会終了とともに日本代表を引退した。

その間、川島は10年以上も海外クラブで挑戦した。代表キャップ95を誇る守護神は2024年、J1再昇格を果たしたジュビロ磐田に加入。自身14年ぶりとなるJリーグに復帰した。一人しかピッチに立てない過酷で孤独なGKというポジションで川島はいま、サッカー選手として集大成の時期に差し掛かっている。23年の時を経て、ロングインタビューがかなった。 海外挑戦のこと、日本代表のこと、ワールドカップ、語学、そしてセカンドキャリアのこと。聞いてみたいことが山ほどあった。インタビュー前編は、Jリーガーから海外に挑戦するまでを紹介する。(取材・文=佐藤貴洋。2001年夏、川島永嗣パルマ短期留学時の通訳を担当)

目次

イタリア・パルマ短期留学の打診

2003シーズンJ2の新潟戦で=J2の2003年3月16日、埼玉スタジアム(写真:川窪隆一/アフロスポーツ)

-J2大宮でプロサッカー選手のキャリアをスタートした。すると、イタリア国内サッカーリーグ・セリエAのパルマへの短期留学の機会がめぐってきた。

川島 浦和東高校3年の春に大宮の練習に参加させてもらい、その後大宮から「獲得したい」と言ってもらっていました。当時はJ2でしたが、自分としてはとにかく早く試合に出られる環境を選びたいとの思いがありました。もともとプロ選手になりたいという強い希望もあり、他にもオファーがありましたが、出来るだけ早く試合に出場することを考えたら、当時は大宮への入団が一番いい選択肢かなと思い決めました。

大宮への入団にあたり、「海外留学」が契約条件に入っていました。確か、当時の三浦俊也監督のコネクションで、パルマ短期留学の話が大宮には来ていたんです。

ぼくは2番目の候補だったらしいですが、1番手の有力候補だったGKが試合にも出ていたこともあり、パルマにはぼくが行くことになりました。当時はイタリアサッカーのことは何も知らなくて、イメージとかも全く無かったですね。「イタリアのパルマに短期留学しないか」といきなり言われたときは、あまりにも急な話過ぎて驚いて、「ちょっと1日考えさせてください」と言いました(笑)。

一晩考えて「こんな機会もめったにないから、行ってみよう」と心を決めました。プロ入りしたとは言え、試合にも絡めなかったし、練習でもコーチ陣の指導にこたえられないことも多くて、本当に自信を失っていた時期でした。「何かを変えたい」と、パルマへの短期留学を自分自身が変わるチャンスにしたいという思いでしたね。 (下に記事が続きます)

ここで絶対に自分が変わるんだ

川島永嗣(右)と筆者・佐藤貴洋=浜松市のOctagon Brewingで(撮影・原田亜紀夫)

-18歳にして単身イタリアへ渡った。人口20万人ほどの「美食の都」パルマでの1か月間の短期留学が始まった。

川島 ミラノ(マルペンサ)空港経由だったと思います。確か、その夜にクラブ関係者と一緒に食事をして、初めてイタリアのパスタを食べました。ボローニャで本物の「ボロネーゼ」を。ただ、日本のパスタを食べ慣れていたからか、 最初は逆においしく感じなかった。あまりにも日本のパスタと違い過ぎて。それでもすぐに本場の味に慣れましたね。生ハムとか、パルマでの食事は本当においしかったですね。

ユースチームの練習に加わりました。みんなボール扱いもうまかったし、日本の同年代と比べて大人びていましたね。メンバーではぼくが18歳で最年長でしたが、イタリアではそれぞれが自分の考えを持っていて自分の意見はハッキリと言います。その辺は日本とは違うなと感じました。

練習ではライバルとの競争と言うよりも、「もう、ここで絶対に自分が変わるんだ」「成長して帰れないなら、プロとしてやっていけない」ぐらいの覚悟を持っていました。ポジションを奪うことよりも、とにかく一日一日、練習でコーチに言われたことをすべて吸収して日本に持ち帰ってやるぞ、という気持ちでしたね。

練習では通訳としてタカさんがいましたけど、ユース選手が泊まる宿舎に戻ると孤独でしたよ。同じ部屋に英語が少し話せる選手もいましたが、当時はぼく自身も英語をそれほど話せるわけじゃなかったから、話す相手もいないし。 (下に記事が続きます)

「受ける」ではなく「向かっていく」

-元日本代表MF 中田英寿がパルマに「背番号10」で電撃移籍をした2001年夏だった。ちょうどその前の2000-01シーズン、中田はフランチェスコ・トッティとの熾烈なポジション争いの中、シーズン佳境で優勝争いのライバル2位ユヴェントス戦で劇的ドローに持ち込む1得点1アシストの活躍で、ASローマを18年ぶりセリエA優勝に導いた。元イタリア代表DFカンナバーロ、GKには元ブラジル代表のタファレル、元フランス代表のフレイら各国代表が揃うなか、エイジはパルマのトップチームの練習にも参加した。

川島 カンナバーロとか…。あのころのパルマってすごい選手が揃っていましたよね。トップチームの練習参加もいきなりでした。ちょうどユースの練習も同じ敷地でやっていたので、「あの日本人GKはなんだ?」と目に留まったのかもしれません。キツかったですよ。

イタリアのGK練習は、体の使い方を一つ一つ説明しながらの指導です。「セカンドボールに行く時の体の使い方」「体の反転の仕方」「この状況ではどちらの足でいくのか」「倒れてからの起き上がり方」など、日本ではない指導法でした。

その後、フランスでもプレーしましたが、やはりイタリアのGK指導は特別かもしれないですね。もちろんコーチにもよりますが、イタリアはGK指導にも技術的なこだわりを感じました。

イタリアに行ってからは、日本人のGKが絶対に海外で成功できるっていう感覚が芽生えたし、実際にそう感じました。そして、それを自分が実現したいと思うようになりました。

短期留学ではエルメス・フルゴーニGKコーチから色々なことを学びました。それまではGKとして受け身になることが多く、シュートも「受ける」感覚が強かったです。ところが、パルマでの1カ月間は、とにかく「自分が主導権を握ってボールに向かって行くんだ」という考えを植え付けられた。ボールがバウンドしようが、 自分がそこに向かって行くことが大事で「決して受けるんじゃない!」と。(下に記事が続きます)

「芯」を持ってやり続けることの大事さ

インタビューにこたえる川島永嗣
「自信をなくす必要はない」と話す川島=浜松市内で(原田写す)

川島 それまで、J2大宮では自分の中で自信を持てずにいました。でも、パルマ留学を機に、「たとえあるところで評価を得られなくても、自分が芯を持ってやり続けることで、別の違うところで評価してもらえることがある」と実感しました。物ごとがうまくいかなくても自信を無くす必要はないと、その時に思いましたね。

日本帰国後も、試合に出られなくても「自分がすべて悪い」ではなく、ちゃんと自分の芯を持ってやり続けることでいつかカタチになるタイミングがある、と。

プロになり、早く試合に出たいという想いとかけ離れて自信を失っているときにイタリアに行って、自分自身が「芯」を持つことの重要性を痛感しました。また、語学に関しても海外に挑戦する以上は、絶対に必要だと認識しましたし、得るものは多かったです。

海外挑戦のため、楢崎のいる名古屋へ

-パルマ短期留学を経てJ2大宮に戻って3年目には正GKの座をつかんだ。その後、名古屋グランパスエイトを新天地として選んだのはどうしてだったのか。

川島 パルマ短期留学を経験して、大宮に戻ってからは、やはり意識が変わりました。技術的にはイタリアで学んだことも意識しながら、ボールに対するアプローチなども変えましたね。また、語学に関しても「いつかは海外で挑戦する」「その時までには言葉の壁をクリアしておきたい」との思いも強まりました。それぞれの国で、それぞれの文化があり、その文化の中で育った人は違う価値観を持っています。価値観の違う人と接することは、様々なプラスの影響を及ぼすことをパルマの短期留学で身をもって感じました。

GKとしてパフォーマンスで勝負したいとなった時に、言葉の壁を言い訳にはしたくない。プレー以外のところでの言い訳を、やはりなくしたかったですね。その考えに至る経験を、パルマで得られたことはよかったです。ただ、当時は海外に行きたくても日本代表として活躍して初めて道がひらけるという時代でした。

まずは日本代表になることでした。そして日本代表になるためには、日本代表のレベルがどういうものかを実際に体感しないことには分からないと思いました。

そこでナラ(楢崎正剛)さんのいる名古屋を選びました。バリバリの日本代表でしたから、自分がそこに入って試合に出られないかもしれないと考えるのではなく、そこで試合に出られるようじゃないと海外挑戦どころではない、との気持ちでしたね。

パルマ留学時のイタリア人のチームメートは、1、2歳年下が多かったですが、彼らが1年後、2年後にはものすごく成長した姿も見ていました。そのころには、日本代表に選出されることが最終目的ではなくて、その先に海外で活躍することを目標にと考えるようになっていました。それでも、ナラさんは自分より、はるか先を行っていて。もう初日の練習を見た時に自分の考えが甘かったなと感じました。(下に記事が続きます)

ベルギーのリールセSKからオファー

Jリーグ J1 川島永嗣、ファンへお別れのあいさつ
キャプション
川島永嗣/Eiji Kawashima (Frontale), JULY 14, 2010 - Football : Eiji Kawashima of Kawasaki Frontale poses with fans during a send-off ceremony after the 2010 J.League Division 1 match between Kawasaki Frontale 0-0 Omiya Ardija at Todoroki Stadium in Kanagawa, Japan. (Photo by Kenzaburo Matsuoka/AFLO)
最後はサポーターと記念撮影
クレジット表記
写真:松岡健三郎/アフロ
日付
2010年7月14日
J1の大宮戦の後、サポーターと記念撮影する川崎の川島=2010年7月14日、等々力スタジアム(写真:松岡健三郎/アフロ)

ー高い楢崎の壁に、クラブから試合出場機会の多いクラブへの移籍を勧められた。2006シーズン終了後、川崎フロンターレへと移籍すると、2007シーズンから2010シーズン途中でリールセSK(ベルギー)に移籍するまで正GKとして112試合連続出場。そして、海外挑戦が始まった。

川島 27歳になるタイミングでしたので、そこで海外に行かないと一生自分は海外に行くチャンスがないと思っていました。年齢的にもワールドカップのためにも、2014年ブラジル大会を見据えると、ラストチャンスだと思いました。

2010年の南アフリカ大会はナラさん、(川口)能活さんがいますし、ぼくは出られないだろうと。いずれにせよ、このタイミングを逃したら海外挑戦はないと思いました。オファーはたまたまベルギーのリールセSKからでしたが、正直なところ海外ならどこでもよかったという思いがありました。

川崎フロンターレとの契約も2010年夏で終わることになっていました。仮にリールセSKに決まらなかったとしても、どのクラブでもいいから、練習参加でもいいから、とにかく海外にと。

川島永嗣(かわしま・えいじ)1983(昭和53)年3月20日、埼玉県与野市(現さいたま市中央区)出身。与野八幡サッカースポーツ少年団、 与野西中、浦和東高を卒業後、J2大宮アルディージャでプロのキャリアをスタート。名古屋グランパスエイト、 川崎フロンターレ、リールセSK(ベルギー)、スタンダール・リエージュ(ベルギー)、ダンディー・ユナイテッド(スコットランド)、FCメス(フランス)、RCストラスブール(フランス)を経て 2024年シーズン前にJ1ジ ュビロ磐田に入団。日本語に加えて英語、フランス語、スペイン語、イタリア語、ポルトガル語、オランダ語の 7カ国語を操る。2010W杯南ア(16強)、2014ブラジル(GL敗退)、2018ロシア(16強) まで正GKとしてフル出場、2022カタール(16強)大会後に日本代表を引退。代表キャップ95。妻と1男2女。185センチ82キロ。

ペンスポニュースレター(無料)に登録ください

スポーツ特化型メディア“Pen&Sports”[ペンスポ]ではニュースレター(メルマガ)を発行しています。「へぇ」が詰まった独自ニュースとスポーツの風を届けます。下記のフォームにメールアドレスを記入して、ぜひ登録ください。

個人情報の扱いはプライバシーポリシーをご覧いただき、同意の上でお申し込み下さい。

  • URLをコピーしました!

\ 感想をお寄せください /

コメントする

目次